青い月 2
土浦は、日野を家に送り届けた後で、
ピアノに向かった。
一心不乱に鍵盤を叩く。
夜が更けた頃には汗にまみれていた。
教会で、白いドレスを着ていた日野は、
花嫁を連想させた。
何故か気にかかったオルゴールを買った。
そのつもりで買ったのではなかったが、
日野に渡すのは良い思いつきだと思った。
頑張っているごほうびに。
土浦はピアノを弾くのを止めて、シャワーを浴びた。
水音だけが響く。
行き場の無い心を抱え込んだままでいる。
気分を変えるために、練習室に向かったある日。
一室から、日野の演奏が聞こえた。
立ち止まって耳を傾け、
ノックをしようとして思いとどまる。
重なり合う月森の音色。
アンサンブルの練習をしているのだ、と分かった。
技術は未熟だが、音色は美しい。
歌うような夢見るような旋律は確かに日野のものだ。
はっきりと理解した。
日野は月森に恋をしている。
オルゴールは、もう渡せない。
何故かそんなことを考えた。
もう、渡せないのだと。
土浦は濡れた髪を無造作にタオルで拭う。
机の上に置かれた、オルゴールのぜんまいを巻いた。
こぼれだしてくる、独特の音。
ピアノ教師だった母親が目標にするように言い渡したのは、
ずいぶんと昔の話だった。
弾けるようになったときは、
とても嬉しかった。
長く巻きすぎたのか、しばらくメロディーは続いた。
部屋の照明のスイッチを切る。
暗闇の中で響き渡る音は澄んでいた。
ベッドに身を沈めても、
意識は冴え渡っている。
今夜は眠れるかどうか。
月森を想って人目を憚らずに泣いた日野は。
どこか自分の涙を恥じているように見えた。
土浦は少し笑った。
叶うならば、泣かせるのは自分でありたかった。
慰めるよりも先に嫉妬に焼かれた自分こそ恥じ入るべきだった。
オルゴールの代わりに渡したテープはひとつきりで、
それを自分で聴く勇気は無かった。
きっと、とても良い出来の演奏に違いないのに。
そこに込められたものに、日野は気付くかもしれない。
あの日の土浦のように。
「好きだ・・・、日野」
『あいつのためになんか、泣くなよ』と言って、
抱きしめることも出来たはずだ。
それをしなかったのは、泣いている日野が
とても綺麗だったから。
呟きを聴く者はいない。
「好きだ」
わかってはいても、少しだけ楽になる気がして、
土浦は日野の名前を繰り返した。
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