ある夜の出来事
「良かった・・・良かった、ここにいますね、アリス」
ベッドで叩き起こされたときは、深夜だった。
私は眠りは浅い方だが、
深く眠っていたとしてもすぐに起きていたに違いない。
この馬鹿な白兎は私の頬を叩いて私の目を覚ました。
「何事なの・・・?
たいした用じゃなかったら、怒るわよ」
白兎は痛いくらいに抱きしめて
私の肩口に顔を埋める。
熱く、湿った感触。
泣いているのだ。
私はペーターの髪を撫でる。
兎の耳をくすぐってやる。
「何を泣いているのか分からないわ、
まったく・・・どうしたっていうの」
「アリス、アリス・・・」
「はいはいはいはい。
とりあえず落ち着きなさい」
唇に軽く触れるようなキスを落すと
すぐさま舌をねじ込まれた。
紅い瞳が潤んでいる。
宝石のようだ、と思う。
「貴方が・・・僕から、ここから
去ってしまうような、気がして・・・」
「ここにいるわよ、ばかばかしい。
同じベッドにいるのよ、
いっつも暑苦しいくらいに
べったべったと抱きしめて眠るでしょうが、
アンタは・・・」
「はい・・・、でも、心配で仕方ないときがあるんです。
僕はおかしい。 貴方のせいだ」
ダイレクトに責任を転嫁される。
(この馬鹿ウサギは本当にもう・・・)
「貴方が悪いんです、アリス。
僕をおかしくした責任を取ってください」
勝手に拉致して勝手に毎日部屋に押しかけて
今となってはベッドまで共有する仲に追いやられている
私の方が被害者だと思う。
平手打ちでもお見舞いしたくなるような勝手な言い草だが、
親を見失った迷子のような心細そうな目を見ると、
どうにもほだされてしまう。
私も甘い。
「分かったわよ、責任を取ってあげる。
何でもしてあげるわよ、
言ってみなさいよ。
私に何をどうして欲しいの」
半ばやけ気味で一気に言った。
「何でも・・・?」
「ええ。何でも。私に出来ることなら、だけど」
「貴方にしか、できません」
ペーターは、何を言っても信用しないところがある。
ことばでは足りないのだろうか。
(大体既にいろいろなことをしたりされたりしているのに・・・
これ以上何を望むのよ、まったく)
「僕が気が済むまで、僕の名前を呼んでもらえますか」
てっきりもっと凄いことを要求されると思っていた私は、
拍子抜けした。
「そんなので良いの?」
「それと、なるべく僕の近くにいて欲しいんです」
「ほとんどいつもと同じじゃない」
「・・・そうですね」
くすり、とペーターは笑って、
私を抱きしめる力を緩める。
「僕はいつでも貴方の中にいて、
貴方の全てを理解することが出来ました。
貴方の愛情を疑うなんて思いもよらなかったのに」
そういえば、ペーターは、
今とは違う意味で、私が何を言っても信じなかった。
嫌い、大嫌い、あっちへ行って、と
酷いことばをぶつけても、
全く取り合ってもらえなかったのだ。
《私は、ペーターを愛している》とペーターは確信していた。
(要するにひとの話を聞かない、と。
その長い耳は飾りなのかしら)
「むしろ出会った当初は、
疑って欲しいと思っていたわ・・・。
くっついてからの方が不安になるって、
アンタも難儀なストーカーよ」
私は思わずおかしくて笑い出してしまう。
「ペーター。
・・・ペーター・ホワイト。
私のひざの上に頭を乗せてくれる?
うんと甘やかしてあげるから。
名前を呼べば良いのよね?
だからもう泣かないの。
ただでさえ真っ赤な目が充血してしまうじゃない」
「・・・アリス」
ペーターはおずおずと私に言われた通りにする。
そういえば、ここに永住すると決断するようになる随分前も、
同じように膝枕をした覚えがある。
ペーターは、私のためなら、
兎の耳を切り落としても良い、と言って、
酷薄に笑ったものだった。
(ほんっ・・・とうに、馬鹿なんだから)
「ペーター、ペーター、ペーター」
「ふふ、嬉しいです・・・アリス、
ありがとうございます」
「どうして名前を呼んで欲しい、なんて言うのか、
訊いても良いかしら?」
「・・・昔は、とても想いあっていったけれど、
名前だけは呼んでもらえませんでしたから」
「信じなくても良いけれど、
ずっと傍にいるわよ?」
くり返し髪を撫でて、名前を呼んでいると、
ペーターはさっさと寝付いてしまった。
つくづく勝手な男だと思う。
「仕様のないウサギよね、もう・・・」
目を覚まさないように、声を落としてしまう。
本当にほだされたものだと思い、
私はあくびを噛み殺した。
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