夢見る佳人 前編

モクジ





君は本当に綺麗だ、と加地君は言う。
君の音は、僕を洗い清めてくれるのだ、と・・・。


「正直、しんどいです・・・」


私は、割と限界だったのだ。












「良いじゃない〜! 贅沢だよ、香穂」

「な〜み〜、絶対他人事だからって
面白がってるでしょ!」

「あっはは、バレた?」

私は、気の置けない友人に
相談に乗ってもらうことにしたのだが。

「最近は、どう接したら良いのか分からなくて・・・。
嫌いとか、苦手とかじゃないのよ。
ただ、もうひたすら困るだけなの。
柚木先輩にも見透かされてしまっているし・・・」

「ま、普通にしてりゃ良いんじゃないの?
私も結構ビビったけどさ、
写真を即決で買われたときは」

コンサート時の写真を、五枚で、15000円。
奈美の冗談を真に受けて、加地君は
アッサリとその場でお金を支払った。

「1500円でも首を傾げるところよね」

「だから、困っている・・・って、
言ってるじゃない・・・」

その他もろもろの逸話が山とあるのだ。

「でもさ、嬉しいもんなんじゃないの?
純愛だよ? 女心に訴えるじゃないのさ」

「女の子という感じではない、気もする。
むしろ、珍しい動物とか、そんな感じかな・・・?」

練習室で二人で練習しているときに、
真顔で、僕はおかしいと思う? と訊かれた私は、
ほとんど泣きそうになったものだった・・・。

「ん〜。 普通に好きってな感じじゃないってこと?
ファンってそういうもんなのかもねぇ。
柚木先輩のファンもすっごい熱いけど、
実際の柚木先輩を知ってるわけじゃないしね」

相変わらず鋭い指摘だ。

「本当の私、か・・・」

何かを、かすめることばだった。

「いやいやいや。
香穂はぜんっぜん裏表ないし、単純だし。
大体同じクラスで隣の席で、
アンサンブル練習も一緒にやって、
よく夢見てられるもんだよ」

「・・・私、奈美のズケズケ言うところ、大好きだよ」

「頼りにしてくれて良いよ、って言ったでしょ?」

悪戯っぽくウィンクする奈美は、
本当に魅力的な女の子だ。

「音色の清らかさ、で言えば冬海ちゃんの方が
ずっと似合うと思うんだよね・・・」

「ね、香穂。 もうさ、本人に訊きなさい」

「え、訊くって・・・何を訊くの?」





「私のどこが好きなの? ってさ」





「奈美・・・ソレ、何かカップルみたいじゃない・・・」

私はついに頭を抱えた。

「だってさ、本人の口から聞くのが一番早いよ。
チームワークが大事なんでしょ?
アンサンブルって。
香穂は割りと感情がまっすぐなんだし、
ここらでスパッとズバッと決着つけなさい」

「け、決着つけちゃうの・・・?」

その後はどうなるのだ。

「頑張ってね、期待してるから!」









何を期待しているのか知らないけれど、
他人事だと気楽で良いと思う。

(まさか、ネタの提供を期待してる訳じゃないわよね・・・)

奈美の気軽さに救われたところも
多分にあることは確かだった。
しかし、相手は加地君なのだ。

月森君も、柚木先輩も、
非常にうちとけにくいタイプではあった。
それでも、今ほど困惑させられたためしはなかった・・・。



「日野さん、どうしたの? 考え事?」


「!!! うわっ・・・あ、何だ。 加地君」

後ろから軽く肩を叩かれて、
私は驚いて振り返った。

「あはは、僕もびっくりした。
ごめんね。 一生懸命考え事してるみたいだったから、
邪魔するのも悪いかなって思ったんだけど」

屈託の無い、満面の笑み。
申し訳なさでいっぱいになる。

(まさか、加地君のことを考えていたとも言えないし)

「ううん、大丈夫。 どうしたの? 何か用事かな?」

「・・・うん。
これから練習なら、付き合って欲しいなって」

これから、一人で練習をするつもりだったが、
一人でも二人でもさして内容に変わりはなかった。

「うん、分かった。 場所は・・・?」

「そうだね、練習室にしようか。
ヴィオラの調子が良くないから、
僕は今日は君の音を聴いているね」

「え? ヴィオラ、大丈夫なの?」

「うん、たいしたことじゃないし。
それに、今日は君の音を聴きたいな、って」


そのとき、私は。
靴に入った小石のような、
不快な異物感を持ってしまった。


(加地君と一緒にいると、時々、辛くなる・・・)


どうして、だろう。
ズキズキして、痛む。



練習室は、幸いにも空きがあった。


「何を弾こうか?
練習する前に一曲、腕をならしたいんだ」

加地君は、簡易ピアノに備え付けられた椅子に座っていた。


「リクエストして良いの?
嬉しいな・・・。
じゃ、第一セレクションで弾いた曲」

「アヴェ・マリア? うん、分かった」

初めて弾いた曲だった。
この曲を弾くのは、私にとって特別な意味がある。


弾き終わると、加地君は拍手をしてくれた。


「ふふ、ありがとう。
コンクールを、聴きたかったな。
君の演奏を、聴きたかった・・・」

「私は・・・ともかく、
皆凄く上手だったよ。 感動した」

「皆の演奏が聴きたいんじゃないんだよね。
・・・君の、演奏が聴きたい」

「私は・・・そんなに上手くないよ」

「そうだね、でも、技術じゃないんだ」

「技術以外の面でも、皆よりも優れているとか、
そんなふうに思ったことは無いよ・・・」

本心だ。
私は、・・・本当にたいしたことはない。
積み上げてきたものが、ない。


「日野さんは、本気でそう思ってるんだよね。
僕はね、君の音に本気で憧れていたから、
転校以来君のことばかり考えていたんだ。
いや・・・多分、初めて会ったときからずっと」

加地君は、私の髪の一房を、手にとって耳にかけた。

「実際に会ってみて、
君は僕が想像していた通りの人間だったね。
潔癖で、透明で、・・・タフなようでいて、
もろいところもある」

そのささやかな接触に怯える私を、
からかうかのように。
手は、頬に添えられたままだった。

「君は本当に綺麗だった。
そして、君といると、
僕は自分の汚さと否応なしに相対せざるを得ないんだ」

何かが、おかしい。
違うと叫びだしたくなるのに。

「私は・・・私は、綺麗じゃない」

「綺麗だよ、君は。
・・・だから、好きで、嫌いになる」



私は。




「君が好きで、嫌いなんだ・・・」


そう言って、夢見るように目を閉じた加地君に、
言えることなど何もなくて。
ただ、苛立ちと、哀しみに、押しつぶされそうだった。


「私の何も、知らない癖に。
綺麗だとか、何だとか、勝手に決め付けないで・・・」


「僕は、君を知っていると思うよ。
僕のいるところからは、君がとてもよく見えるから」


「私が、ヴァイオリンを弾かなかったら。
加地君は、私をいらないの・・・?」


ずっと、押し殺していた疑問を、私は口にする。


「私に、・・・会いたいとも思ってくれないの?」


加地君は、微笑んだ。


「僕は、僕の好きな君を大切にしたいだけだよ」


そのことばは、容易く私を打ちのめした。



・・・加地君が好きな私は、《私》ではないのだ。




to be continued






モクジ
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