夢見る佳人 2
好きで好きで好きで好きで仕方ない。
それなのに、傷つけたいのだ。
とても大切にしたいし、事実大切にしていたと思う。
だからこそ、自分のしでかしたことに心底嫌気が差した。
『ヴァイオリンを弾かない私には・・・
会いたいとも、思ってくれないの・・・?』
涙声で問われたとき。
自分の中の何かが不意に砕け散った。
ずっと、せき止めていた何かが、溢れる。
『日野さん、ミューズは僕につれなかった』
自分の声が反響する。
君を、痛めつけたら。
楽になれるだろうか。
全く、どうかしていたとしか思えなかった。
ただ。
日野が加地に無条件に寄せる信頼や、生来の潔癖さ。
綺麗事で、出来ているようなところ。
真っ白な、それこそ太陽のような輝きが。
いつだって、好きで、嫌いだった。
好きと同じ強さで、嫌いだったから・・・。
八つ当たりかもしれない自覚はあった。
ヴァイオリンに、捨てられたとき以来の
自己嫌悪の波に襲われる。
―― 傷つける、なんて・・・最悪だ。
その日以来、顔をあわせていない。
二日後に、土浦から呼び出されたのは
放課後の練習室だった。
皮肉なことに、同じ部屋で、
ますます気がささくれだつ。
用件は、わかっている。
日野は、普段どおりにふるまおうとして、
あからさまに失敗していた。
呼び出した相手は先に着いていた。
「どうしたの、 土浦」
わざわざ、メールだなんて珍しいね、と言ったら。
心底呆れたそぶりでため息を吐いた。
「日野に何したか、さっさと話せ。
あいつが絶不調だと、回りも調子が狂うんだ」
「たいしたことは、してない」
「《何か》はしたんだな・・・。
お前、俺に感謝しろよ」
「・・・何を?」
「お前は柚木先輩の逆鱗に触れたんだ。
本気で怒らせたみたいだからな・・・。
火原先輩や志水はまぁ、ああいう感じだから良しとしても。
月森もお前に何か言うかもしれないな」
「本当、彼女、お姫様扱いな訳だ・・・。
君たちは、過保護だよね」
「お前が言うなよな・・・ったく、
フォローくらいお手の物だろうが。
さっさと何とかしてやれよ」
「・・・僕はね、土浦。
今まで、女の子を宥めるのは得意な方だと思ってた。
上手く扱えるんだって、本気で思ってたんだ。
許し難い傲慢さだろう?」
土浦は、加地の僅かに青ざめた表情に見入る。
いつものひとなつこい笑みはなかった。
「でも、何を言ったら良いのか分からない。
謝りたいのに、どう謝ったら良いのか分からないんだ・・・」
加地の賞賛が、日野には重いのだ。
それは、わかっていた。
加地の前で、日野は自らを恥じていた。
少しずつ、少しずつ。
その笑顔が曇っていく。
自分の演奏などたいしたものではない。
彼女のことばは、
酷く加地を苛立たせた。
命と引き換えにしても、惜しくは無いもの。
誰もが欲しがるけれど、
僅かなひとにしか与えられない特別なものを持つ、
その重みに耐え難いとでも言うのか。
「日野はさ、特殊なケースだったんだよな」
「・・・え」
「コンクールのときさ、
音楽科の連中に騒がれたんだよ。
あいつは、ガキの頃から特別に訓練されたとか、
そういうのじゃないからさ。
散々やっかまれて、中には酷い嫌がらせもあった」
土浦は一度、日野の汚された楽譜を見たことがある。
日野は、自分で汚したのだ、と言って誤魔化した。
すぐに嘘だと分かったが、何も言わなかった。
どうしようもなく、嘘がヘタだった。
「でも、あいつは一度も何も言わなかった。
第一セレクションで一位を取ったときも、
あいつはむしろしんどそうにしてたくらいだ。
で、何が言いたいのかっていうとだな。
あいつが自分の才能とやらを全然信じられないのは、
あいつのせいじゃないだろ」
「分かってるさ・・・僕に才能が無くて、
彼女に才能があるのだって、
彼女には、何一つ責任が無い」
「・・・加地、お前。
本気で分からないのかよ・・・」
「何が!」
「日野は、お前が好きなんだ」
「どうしてそうなるんだ」
「それは、俺が言いたい。
何で俺がお前に教えてやらなきゃならないんだ。
腹が立って仕方ないぜ。 殴りたい」
「・・・っ! だって、日野さんは、
僕といると、・・・」
辛そう、だった。
「お前が、ヴァイオリンの話しかしないからじゃないのか・・・。
何考えてるのか分かりにくいところがあるし、
あいつも余裕がなかったからな」
忌々しいと言わんばかりに、
土浦は一息に言った。
「お前に好意を寄せられている理由が、
ヴァイオリンの才能だとして、
自分はそれを信じられなくて、
だから混乱したんだろ」
「・・・土浦、それさ。
日野さんが、話したの・・・?」
「いや、でもあいつの考えていることくらいは、分かる」
『加地君は、ヴァイオリンの弾けない私には。
用がないの・・・?』
違う、そうじゃない。
僕は。
「土浦・・・。 謝りに、言ってくるよ。
ありがとう」
「お前のためにした訳じゃないから、礼はいらない。
月森か、柚木先輩に殴られても、
そのときは助けないからな」
「いっそ、殴られた方が気が楽かも・・・」
「もう行け、俺はピアノを弾いてから帰る」
「・・・ああ。 本当に、ありがとう」
日野は、才能に嫉妬したことなど、ないのだろう。
貪欲に、何かを欲しがったことなど、ないに違いない。
置かれた境遇のギャップ故に妬んでいるのかと思っていた。
だが。
王崎先輩でも、月森でも駄目なのだ。
多分、世界中にいる、
ありとあらゆる才能を集めても無意味だ。
欲しかったのは、君だった。
君の才能も、その心弱さも全て、手に入れたかった。
君が好きで好きで、本当に好きだった。
でも、僕の心は報いられたためしがなくて。
君に、置き去りにされるのが、耐えられなくて。
だから、自分を守るために、君を傷つけた。
君の、何が好きなのか。
君のどこに惹かれたのかを、
君に伝えなくてはならない。
伝えたい、と思った。
to be continued
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