Evergleen
神聖にして侵さざるべき掟。
それは、黄金のルール。
私の思い出は、色褪せることがない・・・
「アリス」
「アリス、ほら。 目を覚ますの」
「姉さん・・・、どうしたの?」
私は、まだ眠い。
日曜日の午後で、良い陽気なのだから、もう少しだけ・・・。
「駄目よ。 今日は駄目」
姉は、許してはくれなかった。
「もう、・・・目を覚まさなくては駄目なのよ」
今日は、何か用事があっただろうか。
「ええ、分かった。分かったわ・・・」
慌てて起き上がろうとするのに、力が入らない。
「ね、アリス。 顔を見せてよ」
眠っている私の顔を覗き込んで、姉は屈託なく笑った。
「・・・うん。 良い顔だわ」
「何よ、よく分からないわ、姉さん」
「上手く育ってくれてよかったな、って思ったの」
「私を育てたのは、姉さんだもの。
そうだとしても、それは姉さんの手柄だわ」
「いいえ、違うわ。
貴方を育てられるのは、貴方の他にいないの。
私の助けなんて、さしたるものではなかった」
姉の顔色は、悪い。
少し痩せている。
けれど、笑みはいつもと変わりなくて。
「いつだって、貴方には勇気があった。
貴方は、私の誇りよ・・・アリス・リデル」
「・・・何だか、変だわ。
どうかしたの、姉さん」
私は、言いようの無い不安に陥る。
姉に、触れようとした。
手を伸ばそうとするのに、
体が、動かない。
「言葉にしなくても、伝わるって、知っている。
でも、言葉にしたいの。
忘れないでね、アリス」
貴方が、私に会いたいと願うときには。
私も、貴方に会いたいと思っているのだと――。
「さあ、・・・目を覚まして」
姉は、優しく私に語りかける。
細い指が、私の髪に触れる。
羽のように微かな感触。
もう、起きているわ、と言い掛けて。
私は、《今度こそ》目を覚ました。
「・・・、何だ、夢・・・」
目尻を擦ると、濡れていた。
寝ながら泣いていたらしい。
夢の内容はおぼろげだった。
顔を洗い、身支度を整える。
今日は何も予定が無い。
鏡の中の少女は、私だ。
私は、鏡が嫌いだった。
自分を映すものは、嫌い。
じっと、自分の顔を見た。
「嫌いでも仕方ないか・・・。
一生付き合わざるを得ないんだものね」
独り言が増えたような気がする。
ハートの城の客室は、贅沢なつくりなので、
一人でいると、空間に押しつぶされそうになるのだ。
ノックの音がして、ドアを開ける。
ペーターかと思いきや、そこにいたのは、エースだった。
「珍しいわね、エース。
どうかしたの?」
「いや、たいしたことはないんだけどさ。
我が国の宰相殿が、君に会いに行けってうるさいんだ」
「ペーターが? 本当に珍事だわ」
エースは、にこにこと笑っている。
機嫌が良さそうに見えるが、
彼と来たらいつでもこの調子なので、
本当のところは分からない。
「本当は、自分で来たかったんだろうけれど、
どうしても外せない用事があるらしくてさ。
割と暇な俺が頼まれたんだよね」
「私、貴方たちを呼んだりしなかったわよ?
どうしたのかしら?」
「ペーターさんは、君に呼ばれたって言ってたねぇ」
心当たりは何も無い。
「・・・? よく分からないわ。
でも、手数をかけてごめんなさい。
私の方から、彼に会いに行ってみるから」
「それは、ちょっと待って」
「え?」
「せっかく、ペーターさんのお許しが出たんだからさ、
遊びに行こうぜ?」
悪戯を思いついた子どものような、楽しげな口調だった。
「私と、貴方と、二人で?」
「そう。 俺と、君と、二人で」
「・・・ペーターが怒るわよ?」
「勿論、それが狙い」
私は絶句した。
「・・・ちょっと、宰相閣下に
嫌がらせしたい気分なんだよね。
付き合ってよ、アリス。遊園地に行こうぜ!」
腕を掴まれ、ぐいぐいと引っ張られる。
「遊園地ね。 絶対迷うよね、それ・・・」
「君がいるなら、大丈夫だろ」
ペーターは、何故エースを寄越したのだろう?
「・・・姫君を守るのが、騎士の仕事だから、かな?」
「答になってないわよ、エース」
「君を守るのも、俺の仕事だってこと」
ウィンクするエースは、非常にうさんくさかった。
「まあ、・・・良っか」
私は、本当のところ、この国のひとたちに
振り回されるのが、嫌いじゃない。
遊園地には、ゴーランドとボリスがいて、
三人に囲まれて引きずりまわされた私は、
くたびれはてる羽目になった。
神聖不可侵の掟は私の内に眠る。
それは、金色のルールなのだ。
回転木馬に乗って、手を振って、私は心から笑う。
永遠に不滅のルール。
姉と貴方たちとは、
きっとそれに近いところにいる。
Copyright (c) 2007 All rights reserved.