モクジ

● I finally found someone  ●


「衣笠先生って、つくづく魔性の男ですよね・・・」

私と衣笠先生は。
休日に、予定が合えば話す程度には仲が良い。

「そうですか?」

にこにこと笑うその顔は確かに整っているが、
どうもそれだけではないように思われるのだ。

清春君の、ストリート・バスケを観戦した後は、
大抵お茶を飲みながら、他愛ないお喋りをする。

「先生といると、老若男女問わず、
あらゆるひとに話しかけられるんですもの」

高等部に赴任してから、私は美形に対する耐性がついた。
様々なタイプの素敵な男性がいるのだ。
勿論生徒や、同僚であり尊敬すべき先輩でもある方々なので、
ミーハーに騒ぎ立てられはしない。
が、もしも立場が違えば、
私だってきゃあきゃあ騒いでしまうに違いないだろう。
現にバレンタインは一大お祭り騒ぎだった。

しかし。

何故、衣笠先生が特別に騒がれるのか。
私は不思議なのである。
島をプレゼントされたという伝説的な逸話には、
流石にめまいがした。

「そうですよねぇ。 僕もせっかくのデートくらい
二人きり水入らずで過ごしたいんですけれど」

香りの良いお茶を飲むしぐさは上品で、
見とれるほどに優雅だ。
優しい声。
笑い方も、とても素敵だと思う。
それにしても、道々人を振り向かせるほどの、
圧倒的な魅力の説明がつかない。

魔性、としか言いようがないのだ。

「衣笠先生とデートなんて、恐れ多いです」

私は先生を尊敬しているし、好意を持っている。
でも、傍にいると分かる。
世の中には、手の届かないひとがいるのだ。


「・・・今は、気になりませんが、
昔は嫌だったんですよね」

「え?」

「知らない人に、気持ちをぶつけられるのが、
嫌だったんです」

確かに、毎日・・・となると、ストレスが貯まるだろう。
でも、衣笠先生がそんなふうに言うのは初めてで、私は驚いた。

「好意にしろ、悪意にしろ、
四六時中叩きつけられているようで・・・
吹っ切れるまでは、なかなかに大変でしたよ。
今は、便利なので利用させてもらっています」

「・・・お強い」

「強くなければ、生き残れません」

ハードボイルド小説の、主人公の台詞だ。
私は、にこりと笑って、その続きを返した。

「優しくなければ、生きる資格がない――ですか?」

「その通りです」

極上の笑顔にしげしげと見入る。
実際、先生は強かで・・・それに、とても優しい。

「やっぱり、人徳なんですよ。
清春君も、衣笠先生には懐いていましたものね」

一学期の頃は、補習の予定も大抵無視された。
手を焼かされて落ち込んでいたとき、
助けてくれたのは衣笠先生。
清春君も、衣笠先生には逆らえないようで、
私は同じ教師として感動してしまったものだった。




「最近になって、思うんです。
―― 例え、どれだけの人間に好かれても、
本当に好きなひとが振り向いてくれないなら、
何の意味もない、って」



「そうかもしれませんね」

衣笠先生がおっしゃるとなると、言葉の重みが違う。
私は、ただただ頷いた。

「そのひとに否定されたら、
そのひとの愛情が得られないなら、
僕は僕の価値を信じられなくなるでしょうね。
幾千万の想いなど何の役にも立ちません・・・。
この年になって、初恋などするものではないですよ」

「初恋、ですか!?」

「そうですよ、意外ですか?」

先生は、いつも飄然としているので、
何だか初恋、という単語が似合わないのだ。

「やっと、恋が出来ました。
想像していたよりも、ずっと大変で、
・・・ずっと良いものでしたね」

「・・・はあ」

つくづく、ミステリアスなひとだと思う。

「衣笠先生にそこまで言わせる女の方って、
きっと素敵な方なんでしょうね。
一生に一度でいいから、
私もそんなふうに言われてみたいです」

「・・・一度で、良いんですか?」

「はい?」

「何度だって言いますよ。
貴方が喜んでくれるなら」

「・・・・・・あの、・・・え?」

衣笠先生は、優雅にお茶を飲む。
私も、釣られるようにカップを手にした。
うつむいて、琥珀色の液体が揺れているのを見る。
手が、微かに震えているのだと気がついた。

「まだわかりませんか?
貴方が、私の初恋です。
・・・顔をあげて僕を見てもらえますか?
・・・悠里さん」

私は、弾かれたように顔をあげた。

「出来れば、貴方を最初で最後の恋にしたいって言ったら、
叶えてもらえますか?」

「・・・衣笠先生」

「はい」

「私、清春君が、衣笠先生に何故逆らえなかったのか、
やっと分かった気がします・・・」


誰も、逆らえない・・・きっと。


「貴方だけに分かっていただければ、
それに越したことはありませんから、
良かったと思いますよ」


私は、自分が捕らえられて、
籠に入れられた鳥のような気がした。
一生逃れられない。
・・・それはとても甘いイメージで。




顔の火照りがさめるように、もう一度うつむくと、
悪魔のように美しいひとの、笑い声が聞こえた。









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