星を見るひと

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「妹に弓を託してきたわ」

一の姫は柊に笑みかけた。

「あの子には、約束された未来があると、
貴方は言ったわ」

羽張彦もまた、幼き弟に別れを告げているのだろうか。
出立を前に、一の姫は酷く穏やかだった。
凪いだ海のように穏やかに、
己の運命と対峙している。

「あの子を待ち受ける過酷な運命から、
きっとあの子を守ってくれる。
あの子は強く、とても優しく育ってくれた」

「ええ。 私も微力ながら、二の姫の守りとなりましょう」

柊は知っている。
規定伝承はひとつではない。
しかし、二の姫と羽張彦はほぼ、間違いなく、神に敗れ死ぬ。
微かに右目に痛みが走る。
抉り出してやりたくなる衝動はもはや無い。
星見の一族として生まれ、
未来を知る術を持つ。
二の姫と羽張彦に問われるまま
僅かながら世界の秘密を語った。
二人は迷わず、神に挑む道を選択した。
それすらも既に定められていることなのだと、
二人が知ることは無い。
柊はただ、二人と共に行くことを選んだ。
傍にいて、見届ける。
今はただ、歴史の傍観者となるだけだ。
真の主の目覚めのときは、まだ遠い。

「柊、忘れないでほしいことがあるの」

「何ですか、一の姫」

「例え私や羽張彦が戦い命を落としても、
貴方は決して自分を責めないで。
私の妹を、中つ国を、守って。
そして、何よりも…」

一の姫は言葉を詰まらせて、微笑んだ。

「…いいえ、貴方に伝えたいことは、
きっとあの子が伝えてくれるわ。
もう、言葉などいらないわね…」

あの時、一の姫が何を伝えたかったのか。
一の姫は妹を愛し、信頼と期待を寄せていた。

「貴方がいてくれて良かった、柊」

―― どうか、あの子を守ってね。

それは死者との約束だ。
柊の交わした、唯一の約束であり誓いだった。





「柊、また書庫にこもりきりなの?」

「我が君…、何故、ここに」

少女の声に、柊は物思いに耽るのを止める。

「カリガネのお手製のお菓子があるの。
新作だよ、私も少し手伝ったんだ。
一緒に食べよう。 皆、いるんだよ」

中つ国の滅ぶ前に、柊と千尋は数えるほどしか
顔を合わせていない。
それなのに、初めて出会ったとき、
奇妙なほどに胸が高鳴った。
心臓の鼓動が耳奥で響くほどに。


―― ああ、この、少女が。


水底のような深い蒼眼に溺れそうな錯覚を覚えた。
出会ったときから、二の姫には不審がられてしまったが。

「もう、柊。 聞いてる?」

「聞いていますよ、我が君」

「文字ばかり読んでたら、目だって疲れちゃうよ。
甘いもの食べて、一休みしよう」

特異な容姿故に母王や民に疎まれ、
隔離されたとは思えない程、二の姫は健やかに育っている。
風早は余程愛情をかけたのだろう。

―― 嫉ましいことだ。

自分に残された時間は少ないというのに。

「そうですね。 私も、貴方と過ごす方が良い」

既定伝承など、何ほどのものでもないと、
少女の笑顔を見るとそう思う。
全てが神意の下に定められているのだとしても。
一の姫と羽張彦の想いは偽りではない。
柊だけはそれを知っているのだから。
神にさえも、踏み込めない領域があるのだということを。
それこそが、一の姫の伝えたかったことなのだろう。
何者にも汚せぬ人の誇りに、
少女は気付かせてくれた。
だから、迷わない。 恐れるものは何も無い。

「だから、皆いるんだってば。 もう…。
柊、思わせぶりな言い方をするのは、良くないよ」

「おや。 そのようなつもりはありませんが。
何が良くないのですか?」

「だって、柊が本当のことを言っているのか、
疑ってしまうわ。 柊は、きっと嘘を吐くのが
上手だと思う」

「これは、心外な。 私は貴方に嘘を吐いたことなど、
ただの一度も無いのに」

少女は憮然として、唇を引き結んでいる。
真っ直ぐな、強い意志を感じさせるまなざしが好きだ。
いつまでも見ていられる、と思うときがある。
そのまなざしが曇ることのないように、
気を配る風早の気持ちがよく分かる。
しかしそれは己の役目ではない。
せめて、嘘を吐くまい。
少しでも誠実であろうと勤めているのだが、
彼女にはうまく伝わらないようだ。
一の姫が見れば、呆れて苦笑するだろう。
羽張彦は何と言うだろうか。


「あ…皆を待たせているのを忘れちゃった。
ほら、急いで」

無造作に柊の手を取る千尋に、
柊は一瞬目を見開き、そして破顔した。

「失礼を、 我が君」

抱えあげて、頬に唇を寄せる。

「わっ…、何するの、柊」

「こうすれば、早いでしょう?
心配しなくとも、落としたりはいたしません」

「あのねえ」

大切なものは、腕の中にある。
一目見たその瞬間に、快哉を叫ぶ程の感動。
神とやらに、感謝しても良い。






『柊。 あの子の方が、
きっと貴方を守ってくれるかもしれないわ』






二人の友の笑いさざめく声が、聞こえるような気がした。


end.













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