●● ラストダンソは私に --- 一之瀬 蓮 ●●
明日は日曜日。久しぶりのデートだ。
落ち着かなくて洋服を選んだり、お菓子を焼いたりした。
一ノ瀬先輩は今大学生。たまに勉強をみてくれたりもするけど、
一日独り占めって最近なかった。先輩はとても忙しいから。
責任感が強くて、本当は無器用で優しい先輩が私は大好きだった。
「ね…眠れない」
緊張している。楽しみで仕方ない。
突然、電話が鳴った。
「もしもし。桜川ですが…」
「…俺だ」
「一ノ瀬先輩、どうしました」
声が、耳元で。それだけで、いつも夢見心地になる。
「悪いが明日急な予定が入った」
「…え」
「どうしても、はずせない。デートの約束は反古だ」
「…はい、分かりました。」
ショック過ぎて、自分の声が他人の声みたいな気がした。
「それだけか?」
「…はい、すみません…失礼します」
「…桜川」
私はいきなり携帯の電源を切った。
失礼だ、と思った。でも何を口走るか分からなくて切るしかなかった。
怒るよりも悲しかった。
一ノ瀬先輩は、約束を守るひとだ。
なのに、キャンセルするってことは、
きっと本当に大切な急用ができた筈。
でも…なかなか会えなくて寂しい思いをしてるのは、私だけなのかな。
一ノ瀬先輩に追い付きたくて、頑張ってはいるけれど、
時々どうしようもなく会いたくなる。
でも…それは私だけなのかもしれない。
じわじわと泣けてくる。
さっきまでのばら色の気分が嘘みたいだ。
チャイムが鳴る。今夜お兄ちゃんは仕事で泊まりだった。
カーディガンをはおって顔を洗い、慌ててドアを開けた。
鎖が引っ掛かって、完全には開かない。
「不用心だぞ」
「先輩…!」
今、開けます。と言って鎖を外すと、先輩は少し怒ったみたいな顔をした。
「夜中チャイムが鳴ったからって簡単にドアを開けるな」
「ごめんなさい…」
お兄ちゃんがいるときは、いつも安心しているから、忘れていた。
私たちの住むマンションはセキュリティにかなり気を遣っているけれど。
「あがっていいか?」
ラフなくつろいだ格好をしていてもノーブルな感じがする。
先輩は育ちが良い。パジャマ姿の自分を恥じる。
どうしたんだろう。こんな夜遅くに部屋を訪れるなんて、
普段の先輩からは絶対に考えられない。
「あ、はい。勿論です」
玄関に入り、ドアが閉まった瞬間。
一之瀬先輩は強く強く私を抱きしめた。
「馬鹿」
久しぶりだ。本当に会いたかった。
メールでも電話でもない、ここにいるんだ。
「泣くな」
「先輩が、泣かせるようなことするからですよ」
甘えても良いんだ、と思った。
品のある香り、私がプレゼントした香水を使ってくれているんだ、と分かる。
「先輩、私。会いたかったんです」
「だったら強がるな。いつも呆れるほど単純馬鹿のお前が、
弱音を吐かないから俺だって不安になる」
「――え? 」
「デートのキャンセルは嘘。死に物狂いで予定を調整した俺の苦労はどうなる」
「嘘って、何でそんな嘘吐くんですか! 」
本当にショックだったのに。楽しみにしてたのに。
「最近、なかなか会えなかっただろう? なのにお前からはいつものような
催促がないし、物分りが良過ぎて不安になった。試してやろう、と思ったんだ」
私は、先輩にいつも引け目を感じていた。
前を見て進むこのひとの足手まといになりたくなくて、必死になっていた。
初めは素直にいろいろ言えたのに、だんだん自分が先輩の重荷のような気がして、
ワガママを言えなくなっていた。
会いたい、その一言が言えなくなるなんて。
「先輩、ごめんなさい」
「独りで泣くくらいなら文句のひとつも言えば良いだろう。
お前らしくないことをするな、馬鹿」
「だって、先輩に嫌われたくなかったんです」
「お前が妙に意地を張るから、俺がどれだけ不安になったと思うんだ? まったく」
「ごめんなさい」
「浮気なんかしてないよな?」
「当たり前じゃないですか! 」
キスをする。
一見冷たいこのひとの、情熱を知っている。
「大好きです。会いたかった。本当は独り占めしていたいんです」
「最初からそう言え」
俺も、と先輩は言った。
「鼻水出てるぞ、お前」
「う。見ないでください」
おかしそうに笑う先輩が恨めしい。
よく笑うようになった先輩。
私以外の人の前では笑わないで欲しいと思わずにはいられないくらい
優しくて、ほっとする笑顔だった。
「もう一度キスしていいですか」
付き合い始める前みたいに、くだらないことも臆せず話そう。
先輩はいつも、呆れながら、苦笑しながら、
それでも聞いてくれるって知っていたのに。
「いいぞ」
キスを重ねるたびに、感情が昂ぶっていくのが分かる。
離したくない。
「明日まで、私のものになってください」
「永遠に、って言ってみろ。馬鹿」
選びに選んだ洋服が無駄になってもかまわない。
貴方といればそれだけで、私は満ち足りる。
end