●● ラストダンスは私に --- 華原 雅紀 ●●
私と華原君が付き合い始めてから、どうもお兄ちゃんの様子がおかしい。
「鷹士さんが?」
「そうなんだよねぇ」
今日は週に一度のサッカー部がミーティングの日。
たまにしかない、一緒に帰れる日だ。
同じクラスだから、贅沢な話かもしれないけれど、
やっぱり一緒にいられるのは嬉しかった。
ゲームセンターに久しぶりに寄って少し遊ぶ。
二人で過ごす他愛ないけれど大切な時間だった。
その後の、喫茶店で。
私は華原君に悩み事を打ち明けた。
「あのひともシスコンだから、別に相手が俺じゃなくても
様子がおかしくなりそうなもんだけど」
アイスコーヒーを飲みながら、華原君は言う。
「う〜ん」
確かにお兄ちゃんは私のことになると見境がなくなるところが
あるから、まあ予測の範囲内ではあるのだ。
深水君が演劇部に入部してきたときだって、
ちょっと不機嫌だったし。
「でも、なんて言うのかな。いつもと違って、
元気がないし、私になにか隠してるみたい」
「へえ」
私は砂糖なしの紅茶を飲む。
ダイエットのときは、それが味気なく感じられたけれど、
お茶本来の味を楽しめるから、今は気に入っている。
「ま、あのお兄さんもシスコンだけど、ヒトミも相当なブラコンだよな」
「よく言われる。自分じゃ分からないんだけど、
うちってそんなにアレかな」
「俺としたらさっさと卒業して欲しいね。今は俺のなんだし」
「……さらっとそういうことを言わないでください」
時々どきっとするようなことを普通に言うんだから、参ってしまう。
わざと人をからかって、反応を見て面白がるのは止めて欲しいよ、もう。
それから話題は自然に変わって、私は誤魔化されたことに
気がつかないまま別れた。
「ただいま。お兄ちゃん、いる?」
「お帰り」
優しくて、いつでも私の味方のお兄ちゃん。
やっぱり、ブラコンなんだろうな。
制服を着替えて、改まってソファに座って、私は切り出した。
「ね、なんか最近元気ない。何かあった? 」
「そんなことないよ、俺は元気だ」
「嘘吐き」
「ありがとな、でも……大丈夫だ」
「本当に? 」
「俺はお前に嘘は吐かないよ」
「それが嘘吐きなんだってば」
お兄ちゃんは、私の心配を振り切るように笑い、夕飯を作り始めた。
その日にいたる少し前、
華原はシュタインの散歩をしているときに、
ジョギング中の鷹士と出会った。
「おはよう、雅紀」
「おはようございます」
穏やかな表情や声に騙されない。
目は少しも笑っていなかった。
何もかも見透かすような強いまなざし。
だがよく似たヒトミのそれと違って、低温のまなざしだった。
鷹士の本質は決して甘くはないのだと思う。
ある意味で華原にとってもっとも手ごわいライバルだった。
「偶然だな、少し俺に付き合わないか」
「かまいませんよ、後は帰るだけですから」
並んで歩き出す。華原は気合を入れた。
「妹が、お前の話ばかりするんだ。付き合っているんだって? 」
「そうですね。ヒトミが話しましたか?」
「ヒトミは俺に何でも話すからな」
「相変わらず癒着の激しい兄妹ですよね」
「もう自分や他人を偽る悪いクセは止めたのか? 」
「鷹士さんの前で演技したって仕方ないですから。
一度身についたクセはなかなか抜けません」
「お前を変えたのは、ヒトミなんだろうな」
「そうです」
「最近俺によく英語の質問をするようになったよ。
いつか、あの子を連れて行く男があらわれる。
覚悟はしていたつもりだったのに、堪えるよ」
獣医になるためにアメリカに留学するのが華原の夢であり、
目標だった。
「普通妹に抱く感情の域をこえてますよね、それ」
「そう。俺の秘密を打ち明けようか。俺はヒトミを愛してるんだ」
「いや、全然秘密じゃないと思いますよ」
「だから、ヒトミが望む全てを叶えてやりたいし、
お前のために泣かされたり傷ついたりしているのを見ると、
気分が良くない」
マンションのエントランスが見えた。
シュタインはおとなしくしている。
「それでも、俺は連れて行きますよ
俺もヒトミが好きだから」
「その言葉が聞きたかった」
エレベーターを降りて、鷹士から離れると、華原は肩の力を抜いた。
シュタインが体をこすり付けている。
やはり、苦手だ。
「ね、お兄ちゃん。私に何か隠してるでしょ」
「俺にだって秘密のひとつやふたつあるさ」
ロールキャベツに、ベイクドポテト。
クリームスープに、トマトとチーズのサラダ。
お兄ちゃんは私よりもずっと料理がうまい。
「小さい頃はお兄ちゃんと結婚するのが夢だったな」
「家族なら、これからもずっと一緒にいられるだろ」
「うん、そうだね」
華原君は夢を追いかける。私は、どうするんだろう。
「いつか、お兄ちゃんか私が結婚しても、離れても。
私が助けて、って言ったらお兄ちゃんは来てくれるでしょう? 」
「ああ」
「私もきっとそうすると思う。
だから、もう機嫌を直して、元気を出してよ」
ふ、とお兄ちゃんは笑った。
いつもの笑顔に安堵して、私も笑みを返した。
end