モクジ

● 革命  ●





「好きです」






その一言は俺の人生を曲げる力を持っているのだと、知っているのか。

日野は俺に告白した。本気でだ。
一瞬実に愉快な気分になり、次いで苛立った。


日野はいつだって俺の都合にはおかまいなしだ。
無自覚に俺を振り回す。
まったく俺以上にやりたい放題だ。
俺は混乱し高揚した。
笑い出したかったし怒鳴りつけたかったし
人目を憚らず抱き締めたかった。
しかし感情を容易く表に出しはしない。

「…だから?」

冷たく言い返すと日野は唇を噛み締めた。
虐めたくなる、という台詞は本心からだ。

「それだけ、です」

想いを告げるだけで事足りるような温い感情なら用はなかった。

「それだけで、足りるのか?」

このまま行けば俺は日野と無縁に生きるだろう。
日野の知らない女と結婚し、舞台の幕がおりるまで、
はたから見れば順風満帆な人生を貫く。
―― 今までと同じように。

「俺に、どうして欲しいんだ?」

「私は…先輩に」

他人の期待や望みに応えてきたと自負する。
誰のためでもない自分のために。
自らを望む姿に近付ける努力を怠らなかった。
騙しているとは思わない。
見たいものしか見ない連中の目が曇っているだけだ。

「お前は俺に、何を望む…?」

「私は、先輩と一緒にいたいです。
ずっと側にいたい、
先輩が先輩らしくいられるように、
助けになりたい」

「俺らしい…? お前に俺の、何が分かるんだ」

「分からないかもしれません、だけど…!」



「好きなだけじゃ、駄目ですか」



「…駄目じゃないさ」

コンクールの時も、落ち込みながらも好きという気持ちに
すがろうとしていたことを思い出した。
好きだとか、嫌いだとか。
俺が馬鹿げている、役に立たないと切り捨てたものを
いつまでも抱え込んでいる。


俺は、これから、長い間かけて練り上げた青写真を
余儀なく破り捨てなくてはならないだろう。
邪魔者は排除する信条さえも、
もう、不要になるのかもしれない。



まさか先手を打たれるなんて思いもよらなかった。



腕を掴み、車内に引きずり込む。静かに車は発進した。
見慣れた道とも遠からずおさらばだ。

「俺が好きか?」

「はい」

日野は知らない。何も知らない。
けれど、お前は俺の憧れだった。
人は、自分に無いものを持つ者に憧れると言うけれど…。
日野の音の良さを本当に理解できるのは俺だけだとまで思っていた。

「私は…先輩のものに、なりたいんです」

「案外激しい奴だな」

「…ふふ、誰だって恋をすれば過激になりますよ」

「…そうかも、しれないな」

互いに沈黙した。
沈黙が心地好い貴重な相手だが、流石に今は戸惑いがあった。

「お前に言われるまでもない」

「…え」

「お前は、俺のものだ」

例えば、
その強いまなざしの語るひたむきさや、
真っ直ぐに伸びた背筋や、
物怖じしない態度や、
ことばやしぐさのひとつひとつにいたるまで。
その柔らかい清らかな水のような音色でさえも ―― 。

「お前は、俺のものだよ…香穂子」

とても大切に思っている。
決してことばにするつもりはない、だが。
俺も多分、お前のものなんだろう。








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