「奇遇ですね、柚木先輩」
「・・・ああ。 久しぶりだな。日野」
臨海公園で。
私は、偶然柚木先輩に会った。
つややかな黒髪が、風に舞う。
優雅な物腰。
卒業以来数年を経てなお、変わらない印象的な姿。
私は今、ヴァイオリニストの卵だ。
柚木先輩が何をしているのかは知らない。
「海が見たくなって、足を伸ばしました」
「そうか。お前とはよくここを歩いたな」
「そうですね。 先輩のファンに囲まれたりして」
「その先輩って呼び方はどうなんだ・・・?」
確かに、私たちは今先輩と後輩といった間柄ではない。
「ほかに呼び方を思いつかないんですよ」
「学生気分が抜け切らないのか」
「手厳しいですね」
海沿いの道を行く。
「俺は・・・ずっと、
お前に変わらないで欲しかったな。
こうして、久方ぶりに会っても、
時の隔たりを感じない。
俺の願いは、叶ったのかもしれない」
「・・・無茶を言わないでくださいよ。
変わらないものなんてありません」
「お前は、変わらないように見えるよ。日野。
俺は、近々婚約する。
だから、ここを歩きに来た」
「それは・・・おめでとうございます」
「水に流しに来たんだ。
海は、全てがやがて帰るところだから」
柚木先輩と私は。
先輩と後輩のままだった。
もしかすると、恋人同士になれたかもしれない。
でも、先輩は私にそれを望まなかった。
恋よりも、もっと違う何か。
変わらないものなんてないのに。
私たちは、間違えたのだろうか。
私は、後悔しているだろうか。
今となっては、もう分からない。
純粋無比な好意。信頼。
失いがたいもの。
「私なら、水に流したりしませんね。
墓の下まで持っていきます」
「・・・変わらないな、本当に」
「先輩だって、ないものねだりなところ、
ちっとも変わってないじゃありませんか」
「生意気な口を利くんじゃないよ」
「良いんですよ、
もう先輩じゃないんだし。
・・・柚木さん。
海に行きたくなったら、
付き合いますから。
また一緒に歩きましょうか」
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