モクジ

● ラストダンスは私に --- 橘 剣之介 ●

例えば、一緒に帰るとき。

「橘くんって、実はこっそりフェミニストだよね」

「はぁ?」

「いつも、必ず車道の側を歩いてくれるから」

別に、車道側を歩いたからって車に引かれたりはしないけれど、
ちょっとした心遣いがとても嬉しかったりする。

「たまたまじゃないスか」

「ううん、絶対違うよ。多分お姉さんたちの影響かな。
橘くんは女の子に優しいと思う」

今日は問屋さんに寄り道。
勉強熱心の橘くんはスナック菓子なんかもよく食べるそうだ。
実はお菓子だけじゃなくて、いろいろなレパートリーがある橘くん。
舌が肥えているのか、自分では納得がいかないらしいけれど、
彼の作るごはんは何だってとても美味しい。

「いいよね、お姉さん。賑やかだし、仲が良さそう」

「そんないいもんじゃないと思うけど・・・。大体兄妹仲なら
先輩のがずっと良いんじゃないスか?」

「ははは・・・。まあ、それはね」

重い荷物を持っていると、当たり前のように持ってくれる。
さりげなく、優しくしてくれる。
マンションの住人の皆は誰も彼も人気があるって分かってはいた。
でも、実際付き合い始めてみると、本当に気になる。
橘くん、もてるんだろうな。

「橘くん、絶対もてると思う」

「・・・さっきから、微妙なことばっか聞かないでくださいよ、先輩」

ため息を吐く横顔は私の目線よりも高い。
年下なのに、やっぱり、男の子だ。

「う〜ん。ごめん」

「何か、ありました?」

「え。あ、いや・・・」

ごまかしきれず目を逸らすと、橘くんは立ち止まって、
私の顔をじっと見た。

「何があったのか、白状してください」

「いや、その。実はね・・・」

昨日、帰宅途中にたまたまお姉さんと出くわして、
車で送ってもらった。
橘くんのおうちに寄らせてもらって、
お姉さんたちと橘くんの話で盛り上がった、といういきさつを
私は早口に説明した。

「姉貴か・・・!」

「いやいや、楽しかったよ。凄く」

「最悪だ・・・」

「アルバム見せてもらったりして。可愛かったな〜」

「も、本気やめてくれ・・・」

「だから、黙っていようと思ったのに」

「で、何で俺がもてるとかにつながるんスか?」

「中学校の頃、よく告白されてたって聞いた」

「余計なこと、言いやがって・・・」

「ケーキが食べたいって言ってたよ」

「買えばいいだろ」

「橘君の作ったのが良いって」

「あ〜、もう・・・」

らしくもなく慌てた様子はとても可愛くておかしかった。

「アルバム見てたら、いろいろ思うところがあってね」

たくさん愛されてたのが分かる写真だった。
根は優しい橘くんは、家を嫌っているけれど、
とても温かい感じがした。

「橘くんと、もっと早く出会っていたかったな、って思ったよ」

私の知らない誰かと過ごした、私の知らない時間の欠片。
ちょっと、お姉さんたちが羨ましかった。

「そんなの、お互い様だろ」

「今度、一緒に写真とってくれる?」

「別に、良いスけど」

「そっか、ありがと」

並んで歩いて、お喋りするだけでも良い。
それは本当の気持ちだけど、欲張りな気持ちもどこかにあって、
私は恋をしてはじめて、自分のこころが手に負えないものと知った。

問屋さんまで、あと少し。

「今度、ケーキ届けに行ってもいい?」

「勝手にすれば」

「分かった、勝手にする」

「手をつないで、いい?」

「・・・・・・」

「いいよ、勝手にする」

そっと握り締めた手は、とびきり美味しいこの世の宝物を作る手だ。



end


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