子守唄
「君は、情事が苦手か?」
恒例の深夜のお茶会。
エリオットは仕事で不在だった。
帽子屋の露骨な物言いには慣れたつもりでいたものの、
私は思わずお茶を噴出した。
エリオットがいなくて良かったと思うが、
もしもいたなら二人きりは免れられた訳だ。
とにかく一刻も早くこの居た堪れない席を立てるように
私は祈った。
「・・・お茶会に相応しい話題とは言えないわね」
「回りくどい言い方を好まない君に合わせたのさ」
「言い方や言い回しがどうこうって問題じゃなくて・・・」
「君は、私との行為が嫌なのか?」
ブラッドは、真剣だった。
常と変わらぬ気だるげな口調だが、まなざしが違う。
「いい加減私の性格は知っているでしょう、ブラッド。
私は嫌なことにノーと言えないような、
可愛げのある女の子じゃないの」
好きでもない相手と寝るほど軽はずみでもない。
ブラッドが好きだ。
好きなひとに触れられれば、人並みに嬉しい。
行為自体は好きでも嫌いでもないと思うが、
考えたためしがなかった。
「君はね、アリス。
私の腕の中で我を忘れるとき、
必ず言うんだ、――」
『許して、許して、ごめんなさい』
そして帽子屋は快楽に没頭する少女の表情に見入る。
少女の睫に絡まる涙を嘗め取る。
零れ落ちる前に。
慰めても、少女は許しを乞うのを止めない。
睦言にしては、暗い。
「私は断じて紳士とは言えないが、
君のような女の子に無理強いはしたくないのでね」
いよいよ呆れ果てた。説得力に欠ける言い分だ。
今はともかく、はじめは相当強引な手管だった。
反論する気力も無かった。
「私、そんな風なの? 全然覚えていない。
大体最中に口走る言葉になんてたいした意味はないわ」
「そうかな?君は自覚していないようだが、
君は私のような男を惹きつけるタイプなんだよ」
「そうね。人の話に耳を貸さないところ、
どこぞのウサギさんと同じ」
「白兎と私は似ていないだろう?」
ブラッドは心底意外そうに目を見張る。
「同じような変態カテゴリだとたった今認識したの!」
「機嫌をなおせ、アリス。怒らせたい訳じゃない。
それに、私は白兎に比べればまともだと思うが」
「・・・似たりよったりだわ」
「私を他の男と比べるのは止せ、アリス。
歯止めがきかなくなる」
無造作に右の胸に触れられる。
不機嫌なのはブラッドの方だ。
強く潰されて、痛みに息を詰める。
手向かおうにも、威圧されて身動きが出来ない。
捕食される前の動物のように。
「鼓動がはやいな、とても心地良い音だ。
ずっと聴いていたくなる。
アリス。君が本当に許しを乞いたい相手の代わりに、
私に君を罰して欲しいのかな?」
息を吐いた。
「覚えの無い罪を糾弾されても困るわ」
「君が私に縋るとき、購いようのない罪に慄くとき、
私は君が愛しくて憎くてたまらなくなるんだよ」
「・・・・・・」
もうお茶会もヘッタクレもなかった。
冷め切ったお茶同様私も寒い思いをしている。
解放された後も、胸が痛かった。
物理的な痛みと、それとは別の痛み。
『許して・・・』
赤面する。 死にそうに恥ずかしい。
ブラッドに悟られたくなかった。
隙を見せたくない。
「ブラッド、もしかすると機嫌が悪いの?」
「・・・アリス。
君は鈍いんだか鋭いんだか分からないな」
ブラッドは分かりにくいようで、分かりやすい。
けれど、今日彼が何を言いたかったのかはよく分からなかった。
私が意図して目を背けているものがあることに、
ブラッドは気が付いていて、それが面白くないのだろうか。
ただ、ブラッドが私を案じているのだとだけは分かった。
「ごめんなさい、ブラッド」
「何を謝るんだ?」
「・・・貴方の不機嫌の理由は私のようだから」
私は、誰かに、謝りたかったのだろうか。
心当たりを探そうとしても、思考がまとまらない。
記憶がどんどんあいまいになっていく。
ただ、不意に思い出す記憶の断片は全て優しい。
幼い頃、風邪をこじらせて吐いたとき、
姉はおろしたばかりのドレスが汚れるのに全く
頓着しなかった。
私は、よく整えられた姉の手が、
私のために汚れるのが切なくて、謝った。
姉は驚いて私を叱った。
『何を謝るの? アリス』
謝る必要なんてないのよ、と。
寒くない? おなかはすいてない?
目が覚めても傍にいるから、
眠っても怖くないように。
―― ごめんなさい、お姉ちゃん・・・。
何度もタオルを取り替えて、冷えた手が額に当てられる。
私のために汚れた服。 汚れた手。
―― 帰ったら、もう一度謝らなくては。
その瞬間、
私は自分の中に風穴が空いているような
錯覚を覚えた。
叫びだしたくなるような。
「私の機嫌を左右する力が君にあることを自覚しているなら、
せいぜい私の機嫌を取ってくれ」
ブラッドの声が私の回想を断ち切る。
全力疾走した後みたいに、呼吸が荒い。
「・・・ごめんなさい、ブラッド」
もう一度、謝って。
ブラッドが何を怒っているのか少しだけ分かったような気がした。