眠れる森

最近、不思議な夢を見る。

「どしたの?ヒトミ。最近顔色良くないね」

終業のベルが鳴る。
今日は優ちゃんと梨絵ちゃんと美味しいって評判のケーキ屋さんに行く約束、
楽しみにしてたんだ。

「体調悪いなら、無理はしちゃだめよ?」

「そうそう、ダイエットのしすぎじゃないよね?」

「そんなことないよ。今日みたいに息抜きたくさんしてるもの」

優しい友達は、私の自慢。
心配してくれるのは有難いけれど、本当にたいしたことじゃない。

「ただ、最近ちょっと・・・夢見が、悪くて」

『夢見?』

二人の声が見事に重なった。

ケーキ屋さんは、思ったよりもずっと近かった。
実は百合香に教えてもらったお店だったりする。
アンティークの、雰囲気がある、オシャレなお店。
女の子連れやカップルがほとんどだったけれど、
中には老夫婦や親子連れもいたりして、
取っ付き難くない感じのいいお店だった。

私たちは銘々勝手に注文して、
早速夢の話をすることになった。

「ね、ヒトミ。どんな夢なの?」

「いいよね、夢って。なんかロマンチックじゃない」
「う〜ん。それがね。実は目が覚めるとすっかり忘れちゃうの」

私が注文したのはザッハトルテ。
生クリームがたっぷり・・・うあ。絶対太るよね、これ。
でも、本当に美味しそう。

「でも、気になるんだよね。
気になって仕方なくて、眠る前に今夜こそ覚えておこう・・・と、
思うと眠れなくなっちゃうの」

「変な話ね」

梨絵ちゃんはフルーツのトルテ。悠ちゃんはアップル・パイ。

「それで睡眠不足になっちゃったんだ」

「そうなの」

私は痩せたけれど、気を抜くとまた太ってしまうので、
ダイエットは続けていた。
ケーキは自分へのごほうび、たまの贅沢、
一口一口味わって食べた。

「たいした悩みじゃなくて良かったけどね」

しっかり者の梨絵ちゃんは、ため息を吐いた。

「本当だよね。でもなにも覚えてないの?」

悠ちゃんはハーブティーを飲み、首を傾げる。

「思い出せないの、ぼんやりした気分だけは残ってるのに」

「とても良い夢だったような気もするし、やけに切ないような気分のときもあるし」

「まあ、花より団子のヒトミにも案外乙女な一面があったってことよ」
「そうだよ、これでもお年頃ですから」

その後で悠ちゃんがマンションの住人たちの噂話を始めて、
それきり夢の話は立ち消えになった。



その夜もまた夢を見た。



夢の中で、私はお嬢様だ。
古風なドレスを着て、
素敵な男の人にかしずかれている。
昔からよく仕えてくれる執事なのだ。
鏡台の後ろで、私の髪を梳るそのひとを
私は確かによく知っていると思う。

「お嬢様の髪はとても美しいです」

耳に馴染む懐かしい声。
優しく、丁寧に髪を梳かす。
愛されている、と分からせるような優しい触れ方。

「私にお世辞を言っても仕方ないのに」

クスクス笑う私の声はまるで他人のものように。
はしゃいでいる。
媚びてさえいるかもしれない。
嫌だな、なにか浮ついている。
恋をしているみたいに。

「いいえ。真実ですよ。私は貴方には嘘を吐かない」

髪を一房手にとって、男は口付けた。

「愛しています。お嬢様」

「知ってる、そんなの。昔から――」

私は男の名前を口にしようとして、


その瞬間、目を覚ました。

ジリリリリリ・・・!
目覚ましを黙らせて、頭を抱えた。
時刻は午前六時ジャスト。

「まったくもう・・・どうして覚えてないの!」

今日の朝食当番は私だった。
温野菜のサラダと、ベーコンエッグにトースト、ママレード、ヨーグルト。
手早く作れるものをざっとならべると、
お兄ちゃんの部屋をノックする。
いつもどおりもう起きていた。
お兄ちゃんはたいてい私よりも遅くに寝て私よりも早くに起きるので、
朝食当番制も実はあってなきが如し。
寝坊するときなんかは作っていてくれる。
流石にそれはないように気をつけているけれど。

「おはよう、お兄ちゃん」

「おはよ、ヒトミ。俺の顔になんかついてる?」

「え・・ううん、なにも」

ただ、今なにか引っかかって・・・。
お兄ちゃんの顔を見て、なにか思い出せそうな気がした。

夢の中で、私はそのひとに恋をしている。
そのひとも私を想ってくれていると知っている。
何気ない会話や仕草や、視線。
甘い言葉、滲む熱に浮かされ、少しずつ着実に支配される。
私のワガママを彼はかなえてくれる。
私は彼の主人なのに、
本当は全ての主導権を握っているのは、彼なのだ。

「今夜はパーティーがあるの」

「存じております、お嬢様」

「お父様が趣向をこらしたらしいわ。仮面舞踏会よ。
楽しみだと思わない? ね、――! 」

あれ、今。名前――。
嘘、もう一回!
仮面舞踏会って我が夢ながらとんでもないよね。
どういう発想なんだ、一体。

「ええ、お嬢様」

「貴方も出るのよ、命令だからね」

「かしこまりました」

優雅に一礼する男の名前。
本当の彼はこんなふうには話さないし、
こんなふうには笑わない。
でも、いつも私の願いを叶えてくれる。
《彼》の名前は――!?


布団から飛び起きる。

「そうよね、こんなオチだよね・・・」

がっかりした。
でも、言えることもある。私の夢にはストーリーがあるらしい。
もやのかかった記憶の中から少しずつ輪郭が見えてくる。
私がお嬢様で、誰かもうひとり、男のひとがいたような。

「また目が冴えちゃったよもう・・・。仕方ないなあ」

私は静かにダイニングに向かった。
ホットミルクでも飲もうかと思って。

「お兄ちゃん・・・起きてたの?」

「ヒトミ」

お兄ちゃんは、真夜中なのに起きていた。

「どうしたの、仕事?課題?」

「いや、ただちょっと考え事をしてただけ」

「私も眠れなくなっちゃった」

「夜更かしは美容の大敵だって言うだろ、早く寝た方が良い」

「うん、お兄ちゃんも」

邪魔をしたらいけないような気がして、
私は部屋に戻ると頭まで布団を被った。

その翌日の夜。
私は、今夜こそ彼の名前をこころに留め置くのだと誓って眠りについた。

その日は、仮面舞踏会だった。

誰も彼もが奇抜な衣装を身に着けている。
まるで別世界。華やかでグロテスクで、夢の中なのに夢を見てる気分。
私はあのひとを探す。
給仕にはしないように父親におねだりしていたのだ。
きらびやかに飾り立てたひと、ひと、ひとの中で、
私は一目であのひとを見分ける。
ああ、やっと。

「踊っていただけますか?」

「エスコートしてくれるなら」

私はすまして男の前に手を出す。
男はうやうやしく手の甲にキスをする。
抱きしめたいような衝動に駆られる。
仮面をはずしたい。

「今日は別人になれる日なのよ」

「そうですね」

「でも私すぐに貴方を見つけたわ」

「そうですね」

「ね、キスしてくれる?」

「勿論、喜んで」

男は顔を隠す仮面をはずした。
そこにあらわれた顔は・・・


「鷹士おにいちゃん!!!」

瞬時に飛び起きる。
な、なに、今の・・・!
私は夢の内容を理解した。
ど、どうしよう・・・。
ブラコンにも限度があるよ・・・!

その日の朝は顔を見られなくてろくに口をきかないまま登校した。

「ねえねえ、ヒトミ」

「おはよ、悠ちゃん」

「知ってる? 夢って願望を反映するんだって」

「・・・・・・・・・・・・・え」

「ヒトミの夢もヒトミの気持ちを映す鏡なのかも」

「・・・・えええ」

「ま、ホントかどうかは知らないけどね。
あれ? ヒトミどうして頭を抱えてるの?」

「なんでもない・・・」


私って、かなりヤバイよ、本当。
もうどうしたらいいの。


お兄ちゃんは、パーティーの喧騒をよそに、
星の見えるバルコニーに私を誘い、
二人きりで踊るように促した。
流れる旋律が途切れた瞬間、私は彼を抱きしめた。

「お嬢様」

「お願い、私を連れて逃げて」

「貴方を愛する者から、貴方が愛する者から、
貴方を引き離しても?
幸福な未来を奪って、
鳥を籠にいれて飼いならすように?」

「私には、貴方がいればいい。
他には何もいらない! 
ずっと、愛してたのに。
知らないふりをしてた・・・意地悪」

「ヒトミ――」

「お願いだから・・・ずっと一緒にいるって約束したのに」

「私は貴方の望む全てを叶えます」

執事は、そこで職分を捨てた。
いつもの、お兄ちゃんの口調になった。

「いいよ、ヒトミがそう言うなら、
どこへでも連れて行ってやるよ」

そして私と彼――お兄ちゃんは抱き合い、
何度も何度も繰り返しキスをしたのだ。

思い出すだけで恥ずかしい。
夢にまで責任は持てないけど。

「誰にもいえないな、もう」

特にお兄ちゃんには絶対に知られたくない。
こんな気持ち、知られたらどうしたら良いのか分からない。
ほとぼりが冷めるまで、忙しくしてよう・・・。

夢の中のお兄ちゃんは、
私に優しいけれど、どこか怖いような感じがした。
私はお兄ちゃんの誰より近くにいるようなつもりでいたけれど、
お兄ちゃんにはお兄ちゃんの秘密があるんだろう。
真夜中に眠れないでいたお兄ちゃんの横顔を想う。
私にも、私の秘密があるのと同じで。


『ずっと一緒にいてくれるって約束したのに』

夢の中のあの台詞はきっと私の本音だ。

例えば、私が重大な犯罪を犯したとしても、
お兄ちゃんだけは私に味方してくれるという
確信があったりする。

「願望を映す鏡・・・」

今夜も夢を見るのかと考えるとき、
不安に混じる期待をかぎとって、
私は穴があったら入りたい、と思った。




end?