「起きろ」
私は、若い男の声で目を覚ました。
温かい寝床は居心地が良くて、目を覚ましたくなんて無かった。
けれど、若い男の声に驚いて跳ね起きた。
「目を覚ましたか、」
男は、黒い髪を長く伸ばしていた。
紅い瞳。 見とれるほど整った顔立ち。
「無謀にも程がある。
冬の山で寝入るなど自殺も同然だ」
それとも、死にたかったのか? と訊かれ、
私は首を振った。
「口が利けないのか?
怯えてはいないようだが。 名は?」
「な…?」
「お前の名前だよ。
分からないのか?」
私は村の忌み子だ。 名前などという贅沢な
代物は与えられなかった。
恥ずかしくて俯くと、男は首をかしげた。
「それなら、この俺が名づけよう。
お前はとても珍しい。
まるで雪のような混じりけの無い白だ。
髪の色も、瞳の色も。
―― ゆき、にしようか」
「ゆき」
「そう。 それがお前の名だ。
もっとも、お前を呼ぶ者はおそらく俺一人だろうが」
「あなたは、だれ」
私は男の正体に薄々気がついていた。
「俺は蛇だ。 お前はもう俺の本当の姿を見ているな?
あれが本来の俺だが、今はお前のために人の姿を借りている」
夢で見た蛇を思い出す。
あの綺麗な生き物が、何故私などのために
姿を偽るのか分からなかった。
「私のためなの? どうして」
「俺が何故人の子を必要とするか、教えてやろう。
子どもが欲しいからだ。お前は俺のガキを孕むために選ばれた」
「私、あなたの子どもを産むの…?」
「まあ、そのうち産んでもらう予定だ。
お前がガキのうちはまず俺に慣れて貰うのに専念するから、
びくびくする必要は無いぞ」
私はすっかり混乱していた。
てっきり、食べられるものだとばかり思っていたのだ。
「お前のように痩せたガキを喰らってもつまらん。
それに、腹は足りている。
お前こそ、発育不全も極まっているぞ。
気が利かない話だ」
よく分からないけれど、私は申し訳なくなった。
「ごめんなさい」
「謝るくらいなら、腹いっぱい食ってもらう。
行くぞ」
男は私の手を引いて、隣室へと歩き出した。
信じられないくらい大きな屋敷だった。
隣室の中心に据え置かれた卓の上に、
ありとあらゆるごちそうが並べられていた。
「ほら、食え」
「こんなにたくさん、」
「何なら全部食ってもかまわん」
少しずつ、私は食べた。
熟した果実の甘味が口いっぱいに広がる。
涙が出そうに美味しかった。
鮮やかに色づいた果実の一つを手にとって、
男の口元に寄せた。
美味しかったから、男にも食べて欲しかったからだ。
男は苦笑して、私の髪を撫でた。
「お前、本当に子どもだなあ。
だけど、俺はお前を大事にしてやろう。
人間らしく、うんと優しくしてやるよ」
皆私の白い髪を嫌っていた。
その髪を撫でられて、私はとても嬉しかった。
まるで此処は天の国のようだと思った。
食べた後で、またも眠りに襲われた私を抱いて、
男は寝所へ向かった。
男の腕に抱かれたまま、眠る。
人間らしく優しくすると男は言ったが、
私に優しくしてくれた人は一人しかいなかったし、
その優しい人は私のせいで病気で死んでしまった。
だから、人間は優しい生き物などではないのだと思う。
人間である私もきっと優しくない。
蛇の方が、貴方の方がずっと優しいと
男に言いたかった。
to be continued
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