my lord and my master 2

TOP




私の、好きな人の話をしよう。
私は彼を愛していたけれど、
それを表現することは許されなかった。
愛されないことよりも、
愛することを禁じられたことが、
私には苦しかった。




覚えているのは、肖像画。
美しく誇りやかな母の姿。
父は母を愛しすぎた。
厳格な父親と、重い家名の束縛に反発した母は、
決して幸せとは言いがたかった。
母はちょっとした弾みの事故で死んだ。
父を罰するために他の男の腕に抱かれた母。
父の苦しみは、癒えることがないように
思われたが、母に似た妹の存在は、父を慰めた。
私は、妹がとても好きだった。
自由で、愛されているという確信が
妹をより輝かせた。
私を純粋に慕う妹が可愛かった。
けれど、妹を偏愛する父に
不満を持たなかったとは言い切れない。




その日、私は14才だった。




庭にいた少年に出会ったのは、夏の日。
美しいが、荒んだ目をした少年は、
我が家の敷地に知らず入り込んでいたのだった。
噴水の傍で、少年は上半身裸だった。
肩に。 胸に。 お腹に。
様々な色合いの、痣がある。
誰かに、暴力を振るわれているのだと、分かった。
シャツを、水で濡らして、
少年は、身体を拭っていた。

『誰だ?』

声は鋭かった。

『・・・私は、この家の者です』

『ああ、それはすまなかったな。
すぐに済むから、見逃してくれ』

投げやりな調子だった。

『出来ません』

『今すぐに、出て行けって?』

少年は冷笑した。
年の割りに、大人びた表情だった。

『いいえ。 貴方には、もっと
ちゃんとした治療が要るからです』

私は、言い残して治療のための薬やなにかを
取りに屋敷へ急いだ。
早くしなければ、彼は去ってしまうと、
直感で分かったからだ。


それが、私と彼との出会いだった。


私は、以来何度か彼に会っているが、
直に姿を見せることはなくなった。
その少年が、私の婚約者である男の義弟だと知ったのは、
しばらく後の話だ。
妾腹故に不遇を強いられているらしかった。
私は、少年の身を案じたが、打てる手などなく。
それでも、時間を作って庭へと赴いた。
少年の姿を探しに。




私が、子どもを生める身体ではないと、
父は知らなかったのだ。
私は、父に秘密を作った。
かかりつけの、信頼の置ける医師に、
死に物狂いで懇願した。
口止めしたのだ。

父は、家のために結婚するように私に強いた。
私も、もとから抗う気などなかったが、
正直どうだって良かったのだ。
それでも、欺く罪の重さに耐える気になったのは、
結婚相手が、あの少年だと、知ったからだった。
父は、私の縁談を整えてから死んだ。
あのひとが守りたかったのは、家の名ではないと、
私は理解している。
父は、母の思い出を守りたかったのだと思う。
あの不器用なひとは、愛し方が下手だった。
それに気がつくまで、少し時間がかかったけれど。


私の想っていた少年は、
嫡男の死後に跡取りとなった。
母親の出自のために、
相当な反発を受けたらしい。
彼は自分に手向かう連中を容赦なく叩きのめしたという。
ひとり、またひとりと、
彼の敵は消えていった。
冷酷で情けの無い、頭の切れる男だという評判だった。
その野心、その手腕。 
成長した少年の姿を、私は見たかった。


私にとって、彼はいつまでも少年だった。
初めて、庭で出会った頃のままで。


私は形式を嫌い、その意向を汲んで、
結婚式は実に簡素なものだった。


成長した少年は、私に気がつかなかった。
それで良い、と思った。
指で数えるほどしか会っていないし、
私の狭い世界とは違う、広く豊かな世界こそ、
彼には良く似合うはずだ。
もう、苦しめられてはいないのだ。

彼が私と結婚したのは、
跡取りとしての地位を固めるため。
生まれる前から、決まっていた。
私の家の女と、彼の家の男が、結ばれる。
しかし、私は彼に言えなかった。
私は、子どもを産めないのだ、と――。

私の身体は、あまり丈夫ではなかった・・・。
母親を失って、肉親の死に怯える妹には隠していたし、
父は母の死後私にかまわなかったから、
それを知る者はほぼいない。
だが、いつかは知られてしまうのだ。
そのとき、彼を失望させるのは、
どうしても躊躇われたのだった。



私は、卑怯者だ。
妹のように、自分に素直に生きたかった。
何も欲しがらないふりをしていた。
望んでも叶えられないのを、恐れて。
自分を守るのに、必死なだけで、
妹が抱いている幻想のように、
優しい人間などではない。



だから、彼に抱かれるのは、苦痛だった。



望んでいたものが、与えられる。
けれど、それは。
不当ではないのか。
私には、彼の欲しがるものは、与えられないのだから・・・。


「お前は、いつもつまらなさそうな顔をしているな」

記憶の中の声よりも、低い。
痣は消えていたが、
身体の傷は、痛ましかった。

「・・・陰気な女だ」

髪を乱暴に掴まれる。

「ごめんなさい」

言いようの無い哀しみを込めて、私は言う。


「子どもが欲しいんだ・・・」


男は。
男は、私の哀しみを知らない。


「正妻の、お前の子が欲しい」

私を抱く度に、男は言う。
私は、目を瞑り、苦痛と快楽とをやり過ごそうとする。
自分自身をすら、欺くことが出来たなら。
こらえきれない、涙が零れ落ちる。
今更、今更、話すことも出来ない。
死んでも良いから、産みたいとまで思った。






「たまには、笑ったらどうなんだ?」





私の、好きな人の話をしよう。
私は、彼を愛していた。
その誇り高さ、不屈さ、意志の強さは、
私にはないものだったから。

とてもとても好きだったのに、
私にはどうしたら良いのか分からなかった。
どうしたら、伝わるのか分からなかった。

私は、父が死んで、父の心を知ったように思う。
今ほど父に近づいたことは無い。
父は、母を許したかったのに違いない。
そのチャンスは永遠に失われた。
そのために父は苦しんだのだ。

愛するものの不在以上の苦しみは無い。
愛情を注ぎたくとも、それが許されない苦痛。
父は死によって、私は欺瞞によって。

彼が家に居つかなくなり、
そこかしこで浮名を流しはじめたとき、
私は心から安堵した。

私には、与えられないものを、与えられるひとはいる。

誰よりも、自由に生きて欲しい。
私はただ、傍で見ていたかっただけだ。
それすら過ぎた望みだと気がつくまでにいくらか
時間を要したけれど。


私自身よりも、貴方が好きだった。
貴方の期待に応えられない自分を許せなかった。


妹は、私のために怒っていたが、
その必要は無いのだ。
どうせ、長くは生きられない。
私に、心を砕く必要はない・・・。



私の、好きなひと。
初めて出会ったときから、ずっと――。
貴方の幸せを願うことが、私の喜びだったのに。

















TOP


Copyright(c) 2007 all rights reserved.