私の姉の話をしよう。
私は姉の男と寝たけれど、
欠片も愛情を抱いていなかった。
私が愛したのは姉ひとりきりだ。
この世の誰よりも姉は美しかった。
母に似た私を父は溺愛した。
姉は努力によって父の信頼を勝ち得た。
甘やかされた私に対して、
姉は時に厳しく、時に包み込むような愛情でもって、
私に接した。
母に譲られた金色の髪と碧色の瞳は
姉の黒い髪と瞳とはまるで違っていた。
私は姉に似なかったが、
姉は私の宝物だった。
大切なもの。
私だけのもの。
私は美しく成長したが、
自分の美貌の価値などゼロだと思った。
本当に綺麗なひとを知っている。
姉が家のために政略結婚をすると決まったとき。
私は反対したが、父は断行した。
姉は父を愛していたから、父に従った。
嫡男の不在。
父は姉を家を継がせるための仮腹だとでも
思っていたのだろうか。
私の怒りには行き場が無く、
姉は私を抱きしめて慰めた。
自分は納得していると言った。
姉は意志の強いひとだったから、
本気で望まなければ逆らったには違いないのだ。
ただ、姉はいつからか自分の人生を家具のように扱った。
必要とあらば手入れはするが、
思い入れなど持たなくなった。
あれほど愛情豊かだった姉は
花がしおれるように気力をこそぎ取られていった。
姉の結婚した男は、
昔から馴染みのある名家の世継ぎだった。
その男は妾腹でありながら才長けて、
嫡子に代わって家を継いだ。
冷酷無比な性格で知られる男で、
容姿は優れて整っていたが酷薄な印象を与えた。
結婚式は、両家の家名に反してごく質素なもので、
限られた身内だけが参列を許された。
政治的な思惑の絡み合った結婚。
姉は静かなひとだった。
少しも笑わない花嫁。
私は哀しい。
私は姉の幸せを願ったが、
姉は自分の幸せなど問題にしてはいなかった。
姉の結婚直後に父が死んだ。
私は泣かなかった。
姉の夫となった男は、
直にあちこちで浮名を流すようになった。
属する階級からして珍しくもなかったが、
格好の醜聞ではあった。
しかし、いつしか口さがないひとびとは首をかしげた。
なぜならば男は独り身のときは
身奇麗にしていたのだ。
はじめは姉に同情的だったひとびとは、
次第に面白がって姉を悪妻に仕立てた。
乱行も不貞もいたらぬ妻ゆえだと。
姉は社交の場から身を遠ざけていた。
ただ、日々が過ぎていくのを待つばかりになっていた。
時折会いに行くと、ほんの少しだけ
笑って私を歓迎する。
ちっとも幸せそうではなかったが、
心穏やかに暮らしているようだった。
けれど、稀に夫が帰宅するときに居合わせると、
姉の表情は強張った。
男もそれに気がついて、冷笑する。
私は夫婦を観察し、
籠の中の鳥のような姉のために何が出来るかを考えた。
男はありとあらゆる女と寝た。
しかし、正妻である姉は孕まなかった。
姉は広大な屋敷に僅かばかりの使用人と共に暮らしていた。
荒れ果てた庭の世話をするようになったのはそれからだ。
姉は鬼気迫るような熱心さで
庭を美しく蘇らせた。
花咲き誇る春に訪れたとき、
私は感動に息を呑んだものだ。
姉の手はいつも痛ましく荒れて、
爪の間には土が挟まっていて、
とても貴婦人の手とは言えなかったが、
私は姉のそういったところが好きだった。
窓から見える美しい庭の姿。
姉は窓の外ばかり見ていて、上の空でいることが増えた。
私が男を誘惑したのは、
姉を幻滅させるためと、
姉を近くに感じるためだった。
男に見切りをつけてしまえば良いと思った。
私と男はむしろ互いに憎みあっていたように思うが、
男のセックスは想像していたよりもずっと丁寧だった。
私は姉の初夜に想いを馳せた。
嬌声をあげながら、男を観察した。
男もまた私を観察しているようだった。
姉の苦しみの原因のひとつは明らかに男だったので、
私はとにかく男をたたきのめしてやりたいと
そればかり考えていた。
男は言った。
―― お前は妻に似ていない。
私は答える。
―― 姉に似たひとなんてどこにもいませんわ。
かけがえのないひとですもの。
寝物語だった。
―― 噂どおり、美しいが不実な女だ。
だが、俺の妻よりはましだな。
あれはいつも誰かを待っているようだ。
俺以外の男を心にすまわせている。
―― 姉が貴方以外の男に恋をしているとでも言うのですか?
馬鹿馬鹿しい。
あの潔癖なひとが、夫以外の男と寝られるものですか。
―― さあ・・・。 寝たかどうかは問題ではない。
ただ、俺といても、・・・いや。
俺がいるとあれは笑わない。
いつもうつむいている。 陰気にな。
俺がいない方が、心穏やかに過ごせるようだ。
―― 浮気の言い訳にしてはお粗末ですわね?
けれど、・・・否定はしませんわ。
昔はもっと笑っていました。
今よりもずっと幸福そうに見えたのに。
姉の不幸せは貴方ゆえではないの?
―― 俺のふるまいが気に食わないようだが・・・
俺よりもお前の姉の方が罪深いのではないか?
体よりも心の浮気の方が?
いっそ、その誰かと寝てくれた方が俺としては
まだしも良かったと思うがね。
私は、殺してやりたいくらい男を憎んでいたが、
男はもしかすると姉を愛しているのではないかと気がついた。
―― 貴方まさか姉を愛しているとでも仰るの?
男は答えなかった。
男にとって、姉がどのような存在なのかを
知る術は私に無い。
だが、しかし・・・。
私を抱いたときの、男は。
優しくて、丁寧だった。
もしかすると男はそのように
姉を扱いたかったのではないかと思うのだ。
男は。
姉を愛したいのではないかと。
男にとっても、姉は宝物だったのではないかと。
私の中に姉の面影を探したのではないかと。
私の姉の話をしよう。
それはありふれた話ではあるのだが。・・・
姉は、男を愛しただろうか。
私はそれが知りたい。
姉の心にたどり着きたい。
この世で唯一、愛するもの。
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