玉座と林檎

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「私は女王になるのよ」

即位を前にして少女は空席の玉座に語りかける。
気配は無い。けれど、そこにいると分かる。
人払いは済んでいる。二人きりだ。
眠らない王都に相応しく、煌々と明りは照り輝く。
天与の才を欲しいままにした希代の暗殺者は、
光を嫌ってか姿を見せなかった。
モラルを一顧だにしない無法大国、ギルカタールの王位の継承。
その手を血で汚す覚悟を決めなくてはならない。
少女には気概があったが、野心は無かった。

『一度で良い。《普通》の――ありふれた恋をしてみたかっただけ』

頬を赤らめて笑う少女の、姫君としてのささやかな願いを
打ち明けられたとき、青年は少女を愛しんだ。
恵まれた立場にありそれを十二分に理解しているからこそ、
自分の価値を見出せずにいた姫君。

『私が稼ぎたいのは、本当はきっとお金じゃない。
自分の価値を稼ぎたい』

鼻持ちならないその甘さですら、青年の気に入ったのだ。

「この国が好きよ。私の国。私の愛する人たちの国。離れられない」

青年はひたむきな表情を見つめる。
無音の部屋に響く声に耳を傾ける。
五感の全てで少女の姿を掠め取る。

青みがかって見える漆黒の髪は夜を思わせる。
創世の女神のような全てを包み込む夜の帳を。

「私はきっと変わってしまう。
私を好きと言った貴方にそれを許して欲しいの」

「僕の許しなど不要ではありませんか。
アイリーン。あなたは唯一無二の王になるのだから」

誰の許しも必要としない至上の存在に。

「私は貴方に友情を抱いているのよ、カーティス。
私がいつか取り返しのつかないほどに、
貴方の目に余るほどに醜悪に、
変わり果てたならそのときはきっと、私を殺して」

「僕は、暗殺者は廃業するつもりなんですが――」

「依頼じゃないわよ。友人としてのお願い」

「請け負いましょう。貴方の友人として、ね」

少女は玉座の影に眼を凝らした。

「そろそろ姿を見せてよ」

闇から溶け出でるように、青年が現れる。

「女王陛下。僕は忠誠とは無縁の人間ですが、
貴方には逆らいたくありません」

「この世に並ぶものの無いカーティス・ナイルらしくもない台詞ね」

「貴方が好きですよ。ありのままの貴方の全てが」

私もそうだと少女は思う。
恋ではない。
しかし絵画のように、音楽のように、得がたく愛おしんだ。
愛するものを守るために生きることを選びながら、
いや。それ故に、だろうか。
自由に焦がれる風のような青年の魂に共感した。
何も持たない、寂しい子供のようなひと。

「まるで告白のようね」

カーティス、と独り言のようにつぶやいた。

「私がこの先に食べるどのような素晴らしい晩餐よりも、
貴方と砂漠で食べた林檎のほうが絶対に美味しいわ」

「今もありますよ? 食べますか」

「いいえ、でも――ありがとう」

禁断の知恵の果実。
青年の好物だ。

「手を出してください」

「え?」

手の甲に恭しく口付けた。

「アイリーン・ギルカタール。
僕は貴方の夢見たとおり生きましょう。
誰にも、何にも縛られない生き方を貫きます。
けれど貴方の望みを叶えるためになら動いても良い。
敬愛する女王陛下、僕の友達、貴方を殺すのは僕です」

「カーティス・ナイル。私の忠実な友達。
その言葉を忘れないわ」

二人で、顔を見合わせて、笑う。
カーティスは夢想する。
少女を手にかける、息の根をとめる瞬間を。
そのとき、永遠に少女は自分に属するのだ。


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