●● 六月は一斉に花開く ●●
「清春君、ほら見て!」
二人で、おおっぴらに出かけられる日が来るなんて、
夢にも思わなかった。
今日のデートは、サイクリングだ。
清春君は自動車免許を取得しているけれど、
運転は押して知るべし・・・。
事故には遭わないと言い張るけれど、
それでも40kmオーバーには耐え難い。
そこで自転車を提案したのだが、
意外にあっさり承諾してくれた。
風の気持ち良い休日を選んだ甲斐あって、
とても気持ちが良い。
「辺り一面花が咲いてる、綺麗」
「見りゃ分かるっつの、はしゃぎすぎだぜ」
「だって、なかなかまとまって会えないのよ。
はしゃいで何がいけないのよ」
例えば。
体力には滅法秀でている清春君が、
ペースを落としていると気がついたとき。
私は本当に幸福を実感する。
いつだって、マイペースで、
ひとのことなんておかまいなしの君が好きだったのに。
私のために変わってくれたなんて思っていると知られたら、
自惚れだって、怒るのかな。
「六月は好きよ。
恵みの雨が降る季節だわ」
「変わってるよなァ〜、
ジメジメしてて、俺は好きじゃねえけど」
確かに、清春君には似合わないかもしれない。
「梅雨だものね、日本は。
でも、六月は花嫁の季節でもあるのよ」
昔、翼君がウメアメと言ったときは、
どうしようかと思ったものだ。
皆きっと頑張っている、それを思うとき、
あの一年間は私の支えだと改めて思い知る。
「ハナヨメ、か・・・」
「男の子には、興味ないか」
整備されたサイクリング・コース。
まっすぐに道は続く。
あのころは、道など何もない荒地を無理矢理
押し通っているようなものだった。
一寸先は闇で、転んで擦り傷だらけになって、
それでも楽しくて仕方なかった。
思えば、私はずっと恋をしていた。
教師にあるまじき不埒な思い。
今、ここに、二人並んでいられる奇跡。
何分相手は清春君だ。
恋人同士になれるだなんて夢にも思わなかった。
「・・・悠里は興味あるのかよ?」
「子どもの頃は、ドレスに憧れたけど・・・、
流石に今はもっと現実的に考えちゃうかな。
家族になる、ってことだから」
少し涼しくなったところで、
ご飯を食べる。
清春君は私の手製のお弁当を嫌がるので、
パンを買った。
それでも、どんなに悪態をついても
一口は必ず口にしてくれるところは律儀なのだが、
どうしても嫌がるのだ。
一時期料理の特訓に励みだしたときには
真顔で説得された。
『悠里、俺がお前を楽に食べさせてやるくらい
出征してやるから、マジで、料理だけは勘弁しろ!』
『・・・それを言うなら、出世だから・・・』
情けなくて、悔しくて、でも何よりも嬉しかった。
いつか、楽に食べさせてやるって・・・、
子どもの台詞じゃない、わよね。
「さっきからな〜に笑ったりしてんだって・・・
そういうとこ、変わんねえよな、先生」
清春君は苦笑する。
ちょっとした表情が大人びてきて、
私は、どんどん追い越されていく。
凄くドキドキしている。
お見通しかもしれない。
マウンテンバイクを停めて、木陰で二人で過ごす。
柔らかい芝生の上に座って。
シートは持ってこなかった。
パンは文句なしに美味しかった。
「今日は、見逃してってば。
本当に嬉しいんだから!」
「つくづく、面白い女だぜ」
清春君に言われるようなら、おしまいだと思いながら。
認められた日は、夜寝付けなかったとか、
そんなことばかり覚えている自分に呆れる・・・。
「ね、これ。 何だと思う?」
「何、って水筒・・・ああっ!
お、オイ・・・お前まさか」
「そう! じゃ、じゃ〜ん!
珈琲です」
「う、・・・何の嫌がらせなんだお前はァ!」
「今回は自信作です。
騙されたと思って、飲んでみて」
「お前、それで俺が何回騙されたと思ってんだコラ!」
「お願い・・・ね!」
両手を前に合わせて、必死でおねだりすると、
死ぬほど嫌そうに一口だけ飲んでくれた。
「ま。いつもよりはましか・・・。
何で毎度毎度こんなに苦いんだよ・・・」
私は、清春君を押し倒した。
動揺した清春君の手から、水筒のふた兼コップが落ちる。
幸いコーヒーはかからなかった。
ありったけの気持ちをこめて、キスをした。
悪魔のように魅力的に、ふ、と笑って。
すぐにそのキスは応えられる。
周囲の目なんか知るものか。
私たちは今恋をしているのだ。
好きで、好きで、それだけが全てだと本気で思えた。
大人の女のすることじゃない。
それでも。
「清春君、・・・今更だけど。
・・・・・・好きよ」
「随分、上等な口直しじゃねえか」
「私からキスすること、あまりなかったから。
不意打ちは君から教わったのよ、清春君」
本当は、ずっとキスしてみたかったんだ。
君から告白されたとき。
ありとあらゆる感情のるつぼみたいになっていた。
夢が現実を浸食したのかと思った。
君は知らない、たくさんの私の気持ちがある。
「あのマッジイ珈琲の口直しには、
一回二回じゃ足りないっつうんだよ・・・」
私は笑ってもう一度キスをした。
六月。
雨は振る。 恵みのために。
花々よ、咲き誇れ。
例えその命が短くとも、美しく散るまでは。
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