王女フィーリアの配偶者は、宰相ヴィンフリートである。
王の試練を通じて執政官は常に王女の心の支えだった。
聖騎士ヘルマンの家系に連なるヴィンフリートは、
家柄も申し分なく、事実かつては許婚の仲。
先王と先代将軍の口約束とはいえ、
故のないことではない。
「それなのに! 何故ベッドを別にしていらっしゃるんですか!」
「エクレール、声が大きいぞ」
「人払いは済ませてあります。
抜かりはありませんわ」
侍女エクレールがヴィンフリートを
今では使われなくなった執務室に呼び出したのは、
国を挙げての大々的な結婚式を終えて半月の後だった。
若き女王は近々迫る叙勲式に読み上げる
草稿に目を通し暗記している。
一人の方が捗るだろうと、
退室したヴィンフリートをようやっと捕まえたのだった。
エクレールは何としても歯がゆさをぶつけたかった。
「王女が・・・殿下が君に話したのか?」
「話しませんけれど、分かります。
お悩みのご様子ですし、貴方方二人の雰囲気には
甘さのかけらもありませんもの!」
エクレールに詰め寄られても、ヴィンフリートは冷静だった。
「私だって、女王の夫のつとめぐらいは分かっているさ。
殿下が私を慕ってくれていることも十分承知している」
「だったら何が問題ですの?
まさか・・・役に立たないなんてことは・・・」
「口が過ぎるぞ、侍女殿。
君は誰よりも王女の生活を知っているだろう」
虚を衝かれてエクレールは押し黙る。
「幼い頃はフィーリウス王子の影に隠れて
顧みられず、先王の死後は試練のために
夜もろくに眠れぬ激務をこなし、
せっかく勝利を掴み取った今も
日々内政・外政に当たり
公私の別なく国家に身を捧げている。
まともな生活とは言えないし、
勿論経験にも偏りがある」
ヴィンフリートは、王女が赤子の頃から知っている。
実兄フィーリウス王子は世継ぎとして
物心つかぬうちから帝王学を叩き込まれていたから、
兄妹らしい睦まじさはなかった。
お互い大切に思っているらしかったが、
打ち解けようにも周囲がそれを許さなかったのだ。
そのせいか、乳兄弟であるヴィンフリートに
フィーリアはよく懐いた。
フィーリアは、主君として尊敬に値する。
臣下に、民によく目をかけ、心を砕いている。
それでも――。
『兄』として、思う。
まともな恋のひとつもして欲しいし、
年頃の女の子らしい気持ちを見失って欲しくない。
それはもう難しいとしても、
まだ子どもではないかと、
どうしても思ってしまう。
「それは・・・、フィーリア様がお優しいからです。
私だって、フィーリア様が心安らげる時間が
必要だと感じています・・・」
「騎士や領主にも、殿下は慕われている。
君主として申し分なく立派につとめておられる。
だからこそ、急ぎたくない。
もう少し子どものままでいても良いだろう」
「・・・貴方らしくありませんのね」
「余計なお世話だな」
一年前の聖誕祭。
フィーリアは男装し変名して城下へと足を運んだ。
気がつかずに、呼び止めたヴィンフリートに、
王女は居場所に案内すると告げて
正体を明らかにしたのだった。
悪戯が成功したときの笑顔。
アストラッドと遊び疲れて眠る王女を探し、
背負って帰ったこともある。
いつからか、少しだけ寂しそうに見えた。
『ヴィンフリート、お帰りなさい』
三年間も、離れるのは辛かった。
自分の知らないところで、
哀しい目に遭ってはいないかと――。
「ディクトール様の二の舞になっても知りませんから」
溜息を吐くエクレールに、ヴィンフリートは笑った。
「心配は不要だ。私も血の通う男だから、
やせ我慢も長くは続かない。
ただ、ゆっくり進めて行きたいだけだ」
先代の宰相ディクトールは、
愛する女性を、王妃を守るために粉骨砕身して働いたが、
報いられることはなかったと言う。
エクレールは、それを聞いて涙していた。
王女は、感情を抑えながらも哀しげだった。
ヴィンフリートは同情しなかったが、
その心情を汲み取り、理解した。
愛するものを守るために戦う。
それこそ騎士の本懐であり誇りではないかと思う。
ヴィクトールはその気になれば、
王妃を自分のものとすることも出来たのかもしれない。
けれど、愛する人の、そのひとらしさを
損ないたくなかったのだろう。
「話が終わったなら、政務に戻る」
「・・・分かりましたよ。まったくもう。
男の人って、不器用なんですねぇ」
エクレールは痛ましげにヴィンフリートを見て、肩を竦めた。
「人は器用になど愛せはしない」
言い残し、さっさとドアの向こうに消える背中を一瞥し、
エクレールはスカートの裾を翻して厨房へと向かった。
end.
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