英雄の王カレドウルフ。
その名前はターブルロンドの民であれば
年端の行かぬ子供ですら知らぬ者はなく、
王と騎士の果てしない冒険の日々は伝説になった。
しかし、驚くべきことに王の記録の大半が失われている。
度重なる戦禍のため焼失したか?
だが騎士たちの記録に比べても王のそれは余りにも少なすぎる。
少ないどころか、信頼の置ける精度の高い情報は「存在しない」のだ。
例えば裏切りの騎士フョードルの手記は写本の一部が
朱盾の一族の宝として一部残存している。
そこにはアンリやシュウ、ウラジミールの姿はあれど
カレドウルフの描写はない。
青年は美しかったのか?
剣聖アンリを一顧だにせず黒貴族と対等に渡り合った
剣の腕はいかにして身に付けたのか?
正確な出自は?
研究者たちは英雄王の謎に果敢に挑み続けるものの、
はかばかしい成果はあがらない。
一説には、二代宰相ブレンダンが王家の権威を
絶対のものとするべく記録を抹消したのだと言う。
闇の者の王ヘルゼーエンは
愛した敵の名前を独り占めし、
その愛を全うした。
私は君を愛している。
人の子の希望、王の王。
唯一無二の君。
私の星……。
永遠に君は生きる。
何故なら、君を愛する私が永遠に生きるからだ。
「やあ、黒貴族。僕だ」
ヘルゼーエンは陽射しに顔をしかめたが、
即時に聞き覚えのある声の主を探した。
「君なのか……ユニ。
ずっと探していたんだ。何処へ行った?」
「今はシジェルの野に向かう道半ば。
なかなか良いところらしいね、シジェルは」
姿は見えなかった。
声だけが響く。
太陽でなく、闇の中に瞬く光がそこにあった。
ヘルゼーエンは思い出す。
ユニに敗れ力尽き、長い眠りについたことを。
「すまないね、痛かったかい?」
そう、決戦に勝利したのは、騎士王だった。
「…ああ。痛かったな。だが、かまわない」
「ずっと眠りっぱなしか?
ヘルゼーエン。僕は子どもを作ったよ」
「子ども……それは、驚きだな」
「まだまだ世の中乱れてる。
英雄を必要としてるんだ。
僕の子どもは旗印さ。
仕方ない、心の支えが欲しいんだろう。
けど、君が目を覚ます頃にはきっと
もう少し楽しめるようになってる」
吸血鬼は力を蓄えて蘇る。
人間のように死ねばそれきりではない。
「君のいないところなんてつまらないな…ユニ」
「そう言うなって、ヘルゼーエン」
「私の命は尽きない、
君のいるところへ行けない、
君は何処にもいないから、
もう探すこともできない」
それなら、二度と目を覚まさない。
ユニのいない世界に未練はない。
「参ったな、それなら予言してやろうか、ヘルゼーエン」
「予言?」
「僕の血筋は王家の血筋として
脈々と後代へ受け継がれる。
そして、やがて君は出会う筈だ」
「…誰に」
「君の星に。退屈とは無縁になるよ、きっと。
君は恋を知って変わる。必ず出会うんだ」
私の星は君だけだ、と吸血鬼は言おうとする。
だが、英雄王は聞く耳を持たずに続けた。
「君は僕の友達だった。
君といると楽しかった…君は本当に困ったひとだけど、
君の幸せをつい願ってしまうんだ」
空に向かって手を伸ばしても星は落ちてこない。
それでも手を伸ばさずにはいられなかった。
切ない程に美しい思い出に蝕まれる。
手に入らないもの。
ものではない君。
「だから、生きることに決して飽きないでくれ…ヘルゼーエン」
優しい声は消え、微かに何かが触れた。
「さよなら、ありがとう」
真実を知る者は時の彼方へ去り、
遺された者の哀しみは尽きない。
偉大なる英雄ですら、時は押し流す。
同じ時代に生きた人々が死に絶えても。
君の名前を、君の意志を、
魂の輝きを知る者が誰もいなくなっても。
君の名前を呼び続ける私が此処に止まる限り――。
そして吸血鬼は少女王に出会う。
奇跡の夜が訪れる。
end.
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