●● People will say we are in love ●●
「先生」
言わないで。
「先生、俺」
お願いだから。
「先生が、好きなんだ」
そのことばを、決して。
――四月は《残酷極まる月》だと、エリオットは言った。
「南先生!」
教師は多忙だ。
聖帝は資金が潤沢で、煩わされる雑務が比較的少ない反面、
教師に要求される指導力は高い。
空き時間は、教材研究などに費やす。
学力別にクラス編成がなされている分、
幅広い教材に精通している必要があった。
「あら、どうしました? 真田先生」
「どうって・・・近頃お疲れのようですよ〜、先生!」
真田先生は、年齢が近いので気安く相談を持ちかけることが
出来たが、悩みのタネは誰にも言えなかった。
「お気遣いありがとうございます。
ここのところ、どうも忙しくて」
当たり障りのないことばで、笑ってかわす。
大人の技術だ、と思う。
私の教え子たちが時々羨ましくなる。
あの子たちは、ごまかしたりはしないのだ。
真田先生は私の笑顔に納得したのか、ほっとしたように見えた。
「高等部に赴任してはじめての年ですもんね〜。
しかも、あのB6のいるクラスで、
先生はよくやっていますよ」
職員室の広い窓からは、
桜の花びらが風に散っているのがよく見える。
「でももう少しの辛抱ですよ。
あと一月で、生徒たちともお別れです」
「――四月は、残酷極まる月・・・」
ズキズキと痛む胸をおさえて、私は呟く。
「南先生?今、なんて・・・?」
「いいえ、何でも。
卒業式が近くなると、
やっぱり寂しくなりますね」
春は、出会いと別れの季節なのだ。
草薙一くんを特に指導するように言われたときも、
そう、私たちの関係がはじまるまさにそのときも、
やっぱり、春だった。
受験のために連日辺りが暗くなるまで補習した。
「せ〜んせい、俺もう流石に疲れたぜ」
「そうね、少し休みましょうか」
少しの沈黙が、気詰まりになったのはいつからだろう。
「コーヒー、奢ってあげる。
頑張ったごほうびね。 少し待ってて」
席を立とうとすると、腕を掴まれた。
驚くほど熱い手だった。
「行くなよ」
「すぐに、戻るわよ」
「行くな。 ここにいてくれ」
「・・・一、君?」
私は、怖くなった。
一君の、真剣な表情や、その熱が、怖かった。
「俺・・・先生が、好きなんだ」
生徒に告白される、という話は実はよくある。
聖帝の教師陣が魅力的なせいかもしれないが、
噂話には聞いていた。
けれど、自分の身に降りかかってくるとなると、
まさに晴天の霹靂だった。
「はじめくん」
声が震えていて、動揺を隠せない自分を恥じた。
「知ってたんだろ?
俺が、先生を好きなんだって、
特別に好きなんだって」
そう。 私は知っていた。
注がれる熱い視線の意味を。
私もまた見ていたから。
生徒だから、
問題を抱えて、傷ついているから、
言い訳して、自分をごまかして、
それでもごまかしきれないほどに強く、
特別に想っていたから――。
「一君。 私は先生で、君は私の大切な生徒なのよ」
「今は、そうかもしれないけど、
卒業したら、そんな関係は消えてなくなるだろ」
「なくなったりしない。
私にとって、生徒はずっと大切な生徒で、
卒業しても、やっぱり心配で気が狂いそうになったりするの」
私は、告白を聞きたくなかった。
この心地よい関係を壊したくなかった。
卑怯で、意気地の無い大人だ。
まっすぐな、まなざしが怖かった。
遠からず来る別れに怯えながら、
ただ、二人で過ごす時間を大切にしたかった。
「あのね、一君。
私から見たら、君はまだ子どものように思えるの。
生まれたての子どもよ。
私は君が卵の殻を割るお手伝いをした。
ほんの少しだけ」
「何が言いたいんだ?」
「君の気持ちは、恋なんかじゃないわ。
ただの、勘違いよ」
「・・・ふ、ざけるな・・・!」
机を叩く凄い音がした。
「先生は、俺が勘違いでアンタを好きになったって
・・・そう、言うのか!」
私は今、一君を酷く傷つけている。
優しい子なのに。
「君は、これからたくさんのひとと出会う。
成長して、きっと素敵な大人になるわ。
私のことも、忘れる」
朝目を覚ますたびに、哀しくてたまらなかった。
もうじきに会えなくなるのだ。
一君は卒業する、私を通り過ぎていく。
私は、教師失格だと思った・・・。
自分が、恥ずかしかった。
「忘れる訳・・・ねえだろ、
さっきから、先生は、先生としての見方しかしてない!」
「・・・私は、先生なのよ」
「そういうの、抜きにして考えてみろよ。
南悠里は、草薙一をどう思っているのか、
正直に聞かせてくれ。
でなきゃ納得できない。
諦めたりしたくない。
先生がどう思おうと、俺は本気なんだ!」
「私は・・・」
ぎゅ、と目を閉じた。
「草薙君は、私の大切な生徒よ。
それ以上でもそれ以下でもないわ」
一君は、表情を消した。
広げていた参考書や、筆記具や、ノートを放り出したまま、
乱暴にドアを閉めて、行ってしまった。
私はその場に座り込み、少しの間じっとしていた。
泣きたくない。
私に泣く資格なんか無い。
春が来るのが、怖かった。
離れたくなかった。
止められない想いが怖かった。
to be continued