とらわれびと

モクジ




例え幸せな夢であろうと、
醒めなければそれは悪夢なのだ。



かみさま。
かみさま。

こどもが祈っている。
泣きながら、必死で祈っている。

かみさま、どうかおねがいです。


泣いているこどもが私だと気がついた瞬間、
目が覚めた。
最悪。 最悪だった。





「アリス。大丈夫か」

仕事中毒の時計屋が思案気にこちらをのぞきこんでいる。
まなじりにこびりついているであろう、乾いた涙の跡。
見られたくない、と咄嗟に思う。
今は見られたくない。


まったく、嫌になる。
夢の中でまで夢をみるなんて、馬鹿げている。

―― 夢は嫌いだ。
私のものなのに、
私の思い通りにならない。

「アリス。 大丈夫か」



『アリス、夢はね』

姉は、笑っている。

『ねがいごとをかなえてくれるのよ』

日曜の午後が繰り返しフラッシュバックする。
頭が、痛い。
優しい記憶なのに、締め付けられるように苦しい。


「私、うるさくした?
ごめんね、ユリウス」

「・・・いや、単に寝苦しそうだったからだ」

「嘘つき」

根が優しいユリウスは、
不器用だけれど私を甘やかしてくれる。

「もう起きたわ。私は、大丈夫よ」





夢の中の私は、祈っていた。
お祈りのことばを、思い出せるか試してみる。

『アリス、ねがいごとをするのをやめてはいけないわ』

芝生は緑のじゅうたん。
お気に入りのお菓子とお気に入りの本。
優しい、懐かしい時間。
お行儀が悪くても、姉は叱らない。
少したしなめたその後で、仕方ないのね、と
言って私を眺めるまなざしが好きだった。
背伸びをして、姉の本を読みたがる私に
根気良く読みきかせてくれた。
姉は、誰よりも、私を愛してくれたように思う。

『かなえられなくとも、よ』

『姉さんは時々難しいことを言うのね』

叶えられないねがいごとを、
抱き続けるなんてナンセンスだ。

『ねがうことに、意味があるの』

姉は私の長い髪を撫でる。
髪を伸ばしたのは、何故だろう。
長い髪の手入れは、面倒だった。
姉の真似をしたがる年齢はとうに過ぎていたのに。
確か、姉が気に入っていたからだ。
よく、複雑な編みこみを熱心にしてくれた。
解くのに苦労した覚えがある。
私は、文句を言って、姉は何と返しただろう。


頭が、痛む。
私は、ポケットの中のガラス瓶を握り締める。

「ユリウス」

「何だ?」

仕事をしている最中のユリウスに、
話しかけることはめったになかった。

「最近、夢をみるの・・・」

ユリウスに言っても仕方ない。
ただ、これ以上考えたくなかった。

「《芋虫》に会えないのか?」

「ナイトメア?」

そういえば、最近会っていない気がした。

「あれはお前を守っていたのに。
具合でも悪くしたのかな」

「具合が悪いのなんていつものことでしょう
・・・って、ナイトメアが、私を守る?
どういうこと?」

机に向かうユリウスの背中しか見えない。
その器用な手は変わらずに澱みなく動いているのに違いない。

「あれは、お前を気に入っているからな。
お前を守っている」

「・・・全然気が付かなかったわ」

どこか、麻痺しているような感覚。
時計が時を刻む音がひっきりなしに聞こえる、
この部屋。
私はいつしかなれてしまったけれど、
ユリウスはこの音に時折聞き入っている。
そのときのユリウスの表情は、
子どもの祈りに似ていた。
一心不乱に、祈る。
神の存在さえ理解しない癖に何を祈るのか。
今などもっと祈りから遠ざかっている。
私は神を信じない。

「今度会ったら、お礼を言わないと・・・」

夢なのに何故眠る必要があるんだろう・・・。
眠ることも、食べることも、
笑うことも、泣くことも、
全てから解き放たれたい。
どうせ、夢なのだから。

「そうしろ。
あいつも喜ぶだろう」

「ユリウスとナイトメアは、友達?」

「違う」

即答だ。

「仲が良さそうに見える」

「あれと私しか与り知らぬ領域があるからかもしれないな」

「二人とも、引きこもりだものね」

「放っておけ」

知らないうちに守られていると知るのは
くすぐったくて嬉しかった。





父も、妹も、亡き母も、私は愛していた。
けれど、姉は特別だった。
私の寂しさに気が付いてくれた。
聡いひとだったから、それで特に私に
かまってくれていたのだろう。
知らないうちに誰かに守られる。
たくさんの愛情に囲まれながら見過ごしていた。



私の愛するひと。
私を愛してくれたひと。

―― 姉さん。


『もしも願いが叶うなら、
アリスは何を願うの?』

『夢の中で?』

『そうよ』



もしも、願うなら。



『穏やかな時間が続く夢がいいな』

今みたいに。
何にも脅かされない、優しい時間が続く夢。

『アリスは欲が無いのね』

姉は少し残念そうだった。

『醒めたら何も残らないんでしょう。
それなら、目が覚めたときにしあわせな気持ちに
なれる夢が良いじゃない』

『そうかもしれないわね』

戯言のような他愛ない会話。
よくも、覚えているものだ。


「今夜は会えると良いな」

ナイトメアに会っている間は、
夢など見ない。
記憶を引っ張り出したりしなくて済む。

「もう一度、寝たらどうだ?」

そっけない口調なのに、声は優しい。
ユリウスは、優しい。


穏やかな時間が続く夢とは、とても言えないけれど。
きっと、私の望んだ世界のかたちがここなのだ。

ハートの国ここならば、私の願いは叶うだろうか。


『ねがいごとをするのをやめないで』

姉の言葉は、いつも少しだけ難しかった。
全部覚えているような気さえする。

『例え、叶えられなくても』






姉さん。
――それでも。
届かない祈りに、意味はあるの?







モクジ
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