何を以て人は不幸と呼ぶ

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幸福の何たるかを、エースは知らない。
知らなくても一向に構わない。
転ぶ。 ケガをする。
道に迷う。 毒蛇に噛まれる。
階段から落ちる。 
それでもまあ、不運と思いこそすれ
不幸だとは思わない。
その代わり幸せも分からない。


それこそ不幸ではないかと、君は言った。






「アリス、今日こちらにいらしてくださると
知っていれば、予定を全てキャンセルしたのに・・・!」

「久しぶり、ペーター・・・
忙しいんだから無理することないわよ」

可愛らしい見かけと裏腹なドライな口調。
我が国の宰相閣下の過剰なスキンシップに
全力で抵抗するアリス。
・・・毎度の光景ながら驚かされる。

「・・・ていうか、貴方邪魔です。
消えてください、エース」

「良いじゃないか。
見ているだけなんだから。
狭量な男は持てないぜ?」

「見ているだけじゃなくてさ、
助けてくれると嬉しいんだけど・・・」

「だって、珍しい光景なんだぜ〜。
滅多に見られないものが繰り広げられていたら、
ついつい見ちゃうよな」

「あ、そう・・・」

後ろから羽交い絞めにされているアリスは知らない。
宰相、ペーター・ホワイトは女が嫌いだ。
男も嫌いだし、ありとあらゆるものが嫌いだ。

この国の中で、時計を携帯する変わり種。

「ああ・・・僕、幸せです。 アリス」

蕩けるような笑顔で、
ぎゅむぎゅむと抱擁する姿は、異様に珍しい。

「幸せか・・・」

それが何かを知らない。
知りたいとも思わない。

「何を考えに耽っているの」

「ん〜。 シアワセって何だろうと思ってさ」

それは、なくても生きていられるのに。
欲しがらなくてはならないのだろうか。
ぼんやりと考えるのは、
生身の女の子が少し珍しいから。

「のんきね・・・エース」

げんなりとして言うアリスは、
疲れているようだった。

「・・・ペーターさん、そろそろ離してやりなよ。
あんまりしつこくすると、嫌われるかもしれないぜ」

「そうよ、・・・離して」

舌打ちをして名残惜しそうに解放するペーターは、
以前とまるで別人だった。

「・・・貴方が僕の幸福です、アリス」

うやうやしく手の甲に口付ける。
・・・やはり、異様だった。

「はいはい。 ありがとう」

この二人・・・いや、
一人と一匹が、興味深い。

不意をついて、先ほどの彼のように、
少女を腕の中に絡め取った。
足を払い、体勢を崩した瞬間に抱き込む。
白兎愛用の時計が瞬時に銃に変わり、
銃口が向けられるが、
万が一にでもアリスに当たる可能性があるなら、
撃てない筈だった。


「きゃあっ・・・!」

「大丈夫だって・・・ちょっと、
幸福をおすそ分けしてもらおうかなってさ」

「何をしているんです。
さっさと解放しないと、撃ちますよ。 エース」

「物騒だな。 直ぐに離すから、良いだろ少しくらい」

「何なのよ・・・アンタたちはぁああ!!」

華奢な骨格。 柔らかな肉。
髪の色も瞳も平凡だ。
心臓が動いている。
握りつぶしたら、眼前の男は狂うだろうか。
自分が眉ひとつ動かさずにそれが出来るということも、
アリスは知らない。
殺意の塊をぶつけられても、どうということもない。
今、この瞬間に殺されても。
自分はなにひとつ惜しめない。

「ペーター。 銃を向けないで・・・怖いから」

「その男が貴方を放すまでは無理です」

「・・・無理じゃないでしょ。下ろしなさい」

やりとりを聞き流して、
ほんの少しだけ、羨む。
どこまでも空虚なこの世界の住人たち。
エースは、満たされる感覚を知らない。

その心臓を握りつぶして、流れる血を啜り、
四肢をバラバラにして、君を暴くことも、
容易く出来るのに・・・それをしない理由は、多分。



幸せを知らないのが不幸だと、君は言った。
幸せを知れば、不幸の何たるかを理解しうるということ。


腕の中にいる少女を感じながら、
エースは心臓の音に耳を済ませた。








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