水中花

モクジ



加地葵というひとについて、私はまだ付き合いが浅い。
如才なくて、社交的で、
まるで昔からクラスにいたみたいに
あっという間に馴染んでしまった。
大人びている彼だが、
本当はとても子どもっぽいのではないかと思う。

放課後。
和やかに話していた最中。
加地君は、穏やかに二人きりで練習したい旨を告げた。
ひとりで練習するつもりで予約はしていたので、
かまわない、と言うと、
手をつながれて引っ張っていかれた。
ヴァイオリン・ケースを持っているので、
恥ずかしくても振り払えない。

練習室のドアをそっと閉めて、
加地君は私とドアを結ぶ線上に立った。

(退路を断たれたような気がするな・・・)

「日野さん、座って」

逆らわない方が無難だ、と判断して、
促されるままに簡易ピアノの椅子に座る。
後ろから、抱きすくめられる。
耳に息がかかるほど密着される。

「日野さんは、僕を見くびっているよ」

何かスイッチでも押してしまったのだろうか、とひやひやした。

「加地君、あの・・・私が悪かったです。
だからそのちょっと離し・・・」

今先生にでも踏み込まれたら、
金輪際練習室は使用禁止になるかもしれないな、
と妙なことを考えた。

「僕が君を大好きだからって、
僕に君を傷つけられないと思っているでしょう?
僕が君に酷いことするはずない、って」

後ろにいる加地君の表情は見えないので、
私は抱きしめている加地君の腕に
自分の手を重ねた。

「いや、あの。
本当に何も・・・丁重にお断りしたし!
そこまで怒らなくても」

ことのはじまりは、昨日。
簡素な手紙で、森の広場に呼び出された。
日時のみが記されたそれは、確かに怪しかった。
私はてっきり他の参加者ファンからの嫌がらせだと勘違いして、
一人で赴いたのだが、それが実は普通科の男子生徒からの
お付き合いのお申し込みだったのだ。
顔も知らなかった。
とても、嬉しかった。
ただ、私は今音楽に割く気持ちの余裕が無いのだと丁重に断った。
月森君のような断り方だと思った。
加地君と付き合っているのは、秘密にする約束だった。
申し訳なくて、でも謝るのも失礼な気がして、
困っていると、そのひとは、
コンサート頑張ってください、と言った。
私はありがとうございます、と言ってその場を離れた。

(どこに加地君を怒らせるような要素があったんだろう?)


「人気の無いところに呼び出されてのこのこ行くなんて、
無防備にも限度があるよ・・・」

「本当に、そこまで大げさに考えなくても」

「僕の知らないところで、
君が僕の知らない誰かに傷つけられていたかもしれないんだよ?
日野さん、もう少しひとを疑って欲しいな」

加地君は、おなかから手を差し込むと、
ブラジャーのフロントホックを片手であっさりと外してしまった。
後ろを振り向いて抗議しようとしたが、
体は固定されている。
ひやりとした右手で、目を隠された。
左手の、体を這う感触が。

「・・・っ!
あ、や・・・やだ、加地君、
どこ触って・・・」

「言わせたいんだ?・・・日野さんのえっち
僕だってこんなことしたくないんだけど、
君の人間に対する信頼を揺り動かさないと」

「何その言い分は、もう・・・!
・・・、って、本当にやめ・・・」

「どうして僕が、怒っているのか知りたい?」

制服が乱れている。
スカートはたくしあげられていた。
返事が出来るような状態ではない。
よりにもよって、この場所で、と本当に恨めしかった。

「僕はね、君が誰かに優しくするたびに、
君が僕にほだされたんじゃないかって思うんだ。
僕を好きな訳でなくて、僕が君がいないと駄目になるから、
優しいから僕と付き合ってくれただけなんじゃないかって」

むきだしになった肩口に強く噛み付かれる。
今の私が、加地君の目にどう映っているのか分からない。
恥ずかしくて死にたくなった。

「分かったから、少し待って・・・っ!」

「君を好きな男はたくさんいるんだ。
僕よりも可哀相なひとが君を好きって告げたら、
君はその男を慰めるの?
君はひとの気持ちを決して無下に出来ないんだ」

「や、きもちやいたの?」

息が荒い。

「・・・半分正解で、半分ハズレかな。
・・・ね、僕を好きって言って。
こういうことをさせるのは、僕だけにして。
そうしたらもう、何だって許してあげるから」





子どものようなワガママを押し付けて、
とても勝手なのに、
自分の方が傷ついているような顔をするのは、
ズルイと思う。





「加地君こそ、
・・・私を、見くびらないで欲しい。
ちゃんと好きだよ。
だからお願い、少し落ち着いて・・・」

加地君は目をふさいでいた片手を外して、
私の制服を調えて、
キスをする。



「・・・ごめんね」


「もう最近は慣れました・・・
あのね、加地君。
何もわざわざひとに言うことではないけれど、
もしも加地君がそうしたいなら、
付き合ってるからって皆に言っても全然かまわないのよ?」

私は、冷やかされたりするのがいたたまれないからという、
どうってことのない理由で黙っているのだ。

(加地君は時々何を考えているのか分からない。
自分だって人気があるのに)

「それはね、僕も考えたんだ。
もしも、君と僕との交際を公にしたら、
《寝た子を起こし》てしまうかもしれないじゃない?」

「・・・わからないなぁ」

付き合い始めてから知った。
加地君はスキンシップが好きで、
状況が許す限り私に触れたがる。

「僕よりも先に君に出会っている連中を
無闇に刺激したくないんだ。
いいよ、分からなくても」

「・・・はぁ」

「君に分かって欲しいのは、
僕が君を大好きだってことだけだよ」

「それはもう十分理解しているので、
もう少し手加減をしていただけないでしょうか・・・」











モクジ
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