手放すわけが無い

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柚木先輩の見合いの噂は、
あっという間に学院中に広がった。

気にしないといえば嘘になる。
正直なところ気になって仕方ない。

アンサンブル・メンバーにも
心配をかけてしまうほど、私は落ち込んだ。

私は、先輩にとって、
サンドバックで玩具で、
暇な時にかまってやるペットくらいのもので。

皆の想像するような甘い関係ではないのだ。
それを菜美や土浦君や加地君にやんわり言うと、
たいそう生ぬるい目で見られてしまった。

・・・特別に扱われている自覚が無いのは、鈍感だと。

(特別扱いのベクトルが・・・マイナスなんだってば)

王様の耳はロバの耳。
真実を告げられはしない。

(火原先輩には・・・相談し難いしなぁ・・・)

「見合い、したんですか・・・なんて、訊けない」

鬱々としている私が、
ぐったりしているところに、
柚木先輩があらわれたのは、
その日の昼休みだった。




「どうしたの、日野さん。
顔色が悪いようだけれど・・・
具合でも悪いのかな?」

職員室前の廊下で偶然出くわした。
思わず避けようとしても、無意味で。
額に手を当てられる。
周囲の女生徒たちの、黄色い声がした。

「ああ、熱があるね。
仕方ない、僕が保健室に連れて行ってあげるよ」

ズカズカと手を引かれて、
保健室へと向かうものの、
途中で道を逸れて
人気の無い準備教室に入った。

「・・・さて、日野。
何か、俺に訊きたいことが
あるんじゃないか?」

それはもう・・・山ほどありますとも。
ランキングになるくらい、山ほど。

見合いをしたって本当ですか?
家は、先輩は、大丈夫ですか。
やりたいことを我慢して、
苦しい想いをしていませんか?
先輩は・・・私を少しでも好きですか?

「ありますが・・・何から訊いて良いのか」

―― 先輩にとって、私って何ですか?

見合いの噂は、結構参った。
先輩は・・・、大人で、
そして本人は否定するけれど、
多分優しい人だから。
周囲の期待に応えて、自分を殺してしまう。
だから、きっと、見合いをしたのだろう・・・。


「ひとつだけ、ごまかさずに、
正直に答えてやる。訊いてみろ」


「ひとつだけ・・・」

私は、ぼんやりしてしまった。

「ああ、ひとつだ・・・。
お前は、何を訊きたい?」



「これからも・・・時々は」



会って、もらえるでしょうか、と言いかけて。
それだけでは、全然足りないのだと気がついた。



「・・・先輩、私が・・・」



「私と、逃げてくださいって言ったら、
一緒に逃げてもらえますか・・・?」


貴方を縛る鎖を断ち切る力が。
私にありますか?


「ああ、良いぜ」

柚木先輩があんまりアッサリ言ったので、
私は拍子抜けしてしまった。


「だが、それは最後の手段だな。
なるべく周囲との摩擦を少なくして、
軋轢を最小限に止める。
その方が長い目で見れば楽だ。
幸い俺にはそのノウハウがあるし」

「え」



「見合い、断ったぞ」



「ええっ・・・!」



「お前、何でそう自信が無いんだ?
馬鹿にも限度がある。
俺は、お前のためなら、
いつだって逃げてやるよ。
・・・まさか、いきなり駆け落ちに
誘われるとは思わなかったが」

淡々と言う、先輩が憎らしい。
ひとの葛藤を、何だと・・・!


「・・・先輩が、私に優しくないから、
自信なんて持てないんじゃないですか・・・!!」


「・・・は?
これだけ甘やかしているのに何が足りないって?」

「甘やかしてませんよ」

むしろ、虐められてばかりだ。

「可愛がっているんだよ? 心外だね」

「何だってそう屈折してるんですか・・・」

「お前だって、素直じゃなさすぎる。
意地を張って、いつまでも俺に噂を訊きに来ないから、
俺に興味がないのかと思ったね」

先輩も・・・私のために、
不安になったりしてくれるなら。
私は、とても安心するのに。

「まあ、お前がどうあろうと、
俺はお前を手放さないから、
関係ないんだけどな」

すっぱりと、言い切る柚木先輩の強さを。
・・・どうも、私は見くびっていたらしい。






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