とらわれびとのゆめ

モクジ




二度と取り戻せないもの。
かけがえのないもの。
誰も気が付かない。
宝物は、すぐそこにあるのに。






「ナイトメア」

私が名を呼ぶと、彼はすぐさまあらわれた。

「やあ、アリス」

紙のように蒼白な頬をしている。
病院に行けば良いのに、行かない。
具合を悪くしている夢魔。
お人よしの友達。

「あなたがいない間、昔ばかり思い出していた」

鮮明な記憶。
現実と同じ強度を備えた夢。

「ユリウスは言ったわ、
あなた、私を守っていたの?」

(自分の面倒も自分で見られないくせに)

心の声を正確に読み取って、
ナイトメアは苦笑する。

「別に、私はただ君と仲良くしたいだけだ」

「嘘つき」

誰も彼もが嘘を付いている。

「・・・嘘じゃない」

「あなたには、余所者なんて
珍しくないはずじゃない」

「余所者は、珍しくない。
けれど、君は珍しい」

時の狭間に一人で在り続けるなんて、
正気の沙汰ではないと思う。
けれど、ナイトメアはこの国の中では
割とまともな部類だ。

「私が、まとも?」

ナイトメアは首を傾げる。

「比較すれば・・・まあ、相対的な評価ね」

銃も持たないし、誰かを傷つけて喜ぶようには見えない。
思考を読み取られるのにも慣れた。
ひとの気持ちが流れ込むのって、
嫌じゃないのかな、と思う。
私は、私の気持ちだけで手一杯だ。
誰かの気持ちまで背負いたくはない。

「ありがと、ナイトメア」

「どういたしまして」

かしこまってお辞儀してみせる。

「君に、ここにいて欲しい。
ここを好きになって欲しい」

「・・・どうして」

「言っただろう。
アリス、私たちは君を守りたいんだ」

私は、平穏に暮らしていた。
出版社の労働にしても、
公立の学校にしても、
完全な自活には程遠い。
単なるお嬢様のポーズに過ぎなかった。
保障された安楽な暮らしの上で何をしようと
道楽だと叩かれた陰口になにひとつ反論しなかった。
人一倍黙々と働く。 見返すためじゃない。
その方が楽だったからだ。


何から私を守ろうというのだろう。


「ここにいれば、
私は守られるの?」

笑い出しそうになった。
こここそ、危険極まりない場所なのに。

「君にとって、一番危険なのは君だからね」

―― 白兎は、君を君から守るために連れ出したんだよ。

その瞬間、私は怒りの衝動にかられてい。
誰に対してかは分からない。
ただ、怒っていた。

「分からない。 分かるように話して!」

ナイトメアはふわふわと浮いている。
正面から、左手で目を隠された。
右手は首筋に伸びて、頚動脈をなぞられる。

「何故、分からないといけないんだ?」

冷やりとした手の感触。心地よい闇。
目を閉じるだけでたやすく、世界は否定し得る。

「自分の置かれている状況が分からないのは、不安よ」

「そう?」

どく、どく、と流れる血をせき止めるように
ナイトメアの指が首を強く押した。

「君は、珍しい。アリス」

「やめて」

私は、珍しくない。ありふれているのに。

「君は、私たちに選ばれた。
だから、白兎が君をここに連れ出した」

「何故、私なの」


ナイトメアに答えるつもりはなさそうだった。
いつもはぐらかされてばかりいる。


「もう・・・いいわ」

「いつか、分かるよ。
急がなくても良い。
ここにいれば、急ぐ必要は無い」




そういえば私は何かに追われるようにして日々を過ごしていた。




「夢は、嫌いよ」

私は独り言のように呟く。
ナイトメアは沈黙する。
私の本心は、彼に伝わってしまう。

嘘つきは、私だ。

「私たちは、君が好きだよ」

ナイトメアは私を抱きしめて、瞼にキスをする。
異性のキスでなく、肉親のキスだった。
おやすみのキスだ。 昔、父がしてくれたような。

「大嫌い」

駄々をこねる子どもをなだめるように、
繰り返し落とされるキスに身をゆだねる。





『おやすみなさい、アリス』




ここにいれば、安全だという確信があった。
それなのに光は、心地よい闇を切り裂くのだ。

「・・・病院、行かなきゃ駄目だよ」

「そのうち、な」



夢に巣食う魔は、ひっそりと笑った。




モクジ

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