・・・悪夢の仕掛けを見破って。
此処からどうか連れ出して・・・。
愛されないことは、
もっともありふれた不幸。
分配の不平等。
愛をあまらせて腐らせる親もいる。
翼が俺を殴ったとき、
俺は翼を怒れなかった。
「君たちがケンカをするのは、珍しいわね」
担任は、悟郎に翼を追わせて、
簡単な応急処置をした。
殴られたのは、顔。
「手加減したのかな・・・
たいしたことはないわ」
「翼にひとを殴ったことがあるとも思えない」
「君にはあるの? 瞬君」
「・・・ない」
殴られたことならある。
母の男の中には、性質の悪い野朗もいたからだ。
自分が殊更に不幸だとは思わない。
よくある話で、才能も夢もある自分は、
むしろ恵まれているのだろう。
ただ、母親のために怒れる翼が、
羨ましい、と思う。
「・・・痛い?」
赤く腫れた頬に、そっとそっと触れてくる。
「アンタが言ったとおりだ。
たいした痛みじゃない・・・」
翼は甘いから。
無意識に、咄嗟に、手加減したのだろう。
俺なら、きっと本気で殴れる。
大切にされたことのある人間だけが、
痛みを理解できるのだ。
「痛いときは、痛いって言っても良いのよ?」
「・・・言っても痛みが軽くなる訳じゃない」
「昔、《いたいのいたいのとんでけ》って、
やってもらわなかった?
・・・気の持ちようで、痛みも軽くなるかもしれない」
「俺よりも、翼の心配をしろよ・・・。
俺、あいつを傷つけた」
先生は、俺を抱きかかえた。
それは、一瞬のことで、
ほとんど夢かと思うくらいだった。
「・・・先生?」
「君たちは、良い子だなって思ったのよ」
「ガキ扱いするなよ。・・・気分が悪い」
「だったら、ケンカはしないのね。
・・・保健室に行きます。
ここで休んでいるのよ」
小さい子どもにするように、
頭を撫でられる。
癪に障った。
舌打ちをして、据え置かれたソファに横たわる。
「・・・いたいのいたいの、とんでいけ」
誰もいないバカサイユで、呟いてみる。
自分が。欲しがっているものは多分、
とてもシンプルで、とても難しい。
「・・・最悪だ」
誰もいないことに安堵しながら、
翼にどうやって謝ろうか、考えていた。
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