「永田さんと二人きりって・・・
初めて会った時以来では?」
翼様の恩師である南先生は、
私にとっても大恩ある方です。
しかし、おそらくは翼様が特別な好意を
抱いているであろうこの方を、
私は扱いかねていました。
無人のバカサイユにて、
彼女と出くわしたときも、
私は内心で少し焦りを感じました。
「そうですね。
翼様をお探しですか?」
翼様の補習を一任されて以来、
彼女はよく責任を果たしていたように思います。
未だかつて私以外の大人には滅多に懐かなかった
翼様の視野を広げてくれた彼女に、
私も少なからず感謝をしていました。
「ええ。翼君の居場所、ご存知ですか?」
「・・・存じています」
「ああ、良かった。
教えていただけますか?」
「・・・・・・」
「あの・・・永田さん?」
「申し訳ありません。
翼様に口止めされているので」
最近では、熱心に補習を受けられていた翼様だったが、
今日は何故か突然やる気をなくしてしまったようだった。
『永田、お前はここで繻子蘭していろ』
それを言うならば留守番でございます、
・・・という間もなく、
風のように去ってしまわれたのでした。
むしろシュスラン(ラン科ルディシア属)の方が
難しい気もいたします。
流石は翼様。
「まったく、仕様のないことを・・・。
良いわ。 ここにいれば姿を見せるかもしれません。
一緒に休みませんか?」
「私と、ですか?」
「ええ。 お仕事のお邪魔ですか?
翼君のお話でも・・・と。
だって、永田さん、まるで保護者ですもの」
・・・翼様の父親はとても不器用で、
大切なひとを大切にするのがヘタな方でした。
いつしか生じた親子間の深い溝に
私も心を痛めていたものです。
「翼君、あれでとても優しいんですよ。
きっと大切にされていたんだろうなって思いました。
永田さんのおかげもあるんじゃないかしら」
時々行き過ぎですが、と釘を刺して笑う先生に。
ああ、このひとは本当に心から翼様を
案じているのだと、私には分かりました。
この方ならば、翼様をお預けできる・・・。
それは一抹の寂しさを伴いましたが、
子はやがて巣立つものです。
今から、少しずつ心の準備をしなくては
ならないのかもしれません。
「後は・・・お金で何でも解決しようとする癖も、
もう少し何とかしないと」
「それでしたら、先生」
「はい」
「貴方が翼様にお金では
決して手に入れられないものを、
差し上げてください」
わがままで、甘えたがりで、
かまって欲しがってばかりで、
意地っ張りな子どもだった。
懐いてくれるまで、本当に時間がかかったのだ。
甘やかしすぎたのは、認めます。
でも、私は。
本当はあの子を甘やかしたがっていた、
お父上の代わりに、あの子に愛情を注いでいました。
万感の思いを込めて私は言いました。
「どうぞ、翼様をよろしくお願いいたします」
「・・・はい、私に出来る限りのことはします」
思えば、不思議な縁になります。
・・・もしも、翼様の好きなひとが、貴方でなければ。
私はもっと、個人的に貴方と知り合ってみたかった。
恋というには、余りにも淡い好意を、貴方に抱いている。
それを伝える日は、きっと永久に来ないでしょう。
いつか貴方と彼が、
正式にパートナーとして結ばれて、
お父上と酒を飲む日を、
私は心待ちにしているのです。
そして、それからはるかに先。
今の私と同じくらい、大人になった彼になら。
私の生まれなかった恋を、
告げるのも面白いかもしれません。
Copyright(c) 2007 all rights reserved.