モクジ

● Not while I'm around  ●


その日の補習は、皮肉なほどに捗った。

「うん、大分進んだ。・・・お疲れさまでした」

「カッタルイのに我慢してやったんだぜ?
感謝しろよなァ〜!」

憎まれ口は、変わらない。

「何で私が君に感謝するのよ。
君のために、補習しているのよ」

―― 嘘と、本当と。

「ほいほい、分かった分かった」

「返事は、はい! 一回ね」

清春君は、集中力の持続はなかなかのものなのだが、
一度途切れてしまうと、時間がかかる。
バスケット・ボールではそうはならないようで、
やっぱり基本的に勉強が嫌いなのかもしれない。

「そう、それとね・・・」

「ンあ?」

私は、カバンにしまっていた、
シンプルな封筒を渡した。

「・・・頼まれたの。
君に渡すように」

清春君は、少しの間沈黙していた。

「あのさ、・・・お前。 
・・・これが何か知ってンのかよ?」

いつもの・・・人をバカにしているような独特の口調ではなく。
ああ、本気で怒っているのだと、分かった。

「私は、配達を頼まれただけなのよ・・・」

「それで、引き受けた、と。
・・・前から言おう言おうと思ってたんだよな。
お前って死ぬほどバカじゃね?」

「今更だけど、先生をバカだのお前だの呼ばない」

「バカにバカって言って何が悪いのか
分っかんねェっての。
まぁ、良いや。 そこで見てろ」




清春君は、私の目の前で。
その手紙を・・・ 破り捨てた。





「なんってことをするの!」

「・・・悪いが、二度目はないぜ」

思わず、平手打ちをしようとした手を。
あっさりと、清春君は掴んでしまう。
そして、机の上に押し倒される。
背中が、酷く痛かったが、
怒りがそれを打ち消していた。
生徒に押し倒される、という前代未聞の状況を忘れるほどに、
私は腹を立てていた。

「清春君、貴方、その手紙に
どれだけの想いが込められているか
想像も出来ないの・・・?」

便箋、封筒、その文面。
どれだけの時間をかけて、
慎重に選ばれたものか、
分からないというのか。

「君が、破り捨てたのは、
単なる紙じゃない!」

その子の心そのものなのに・・・!!

「何で、お前が怒るんだ?」

「私には、分かるから・・・」


私には、分かる。


「君には、分からないかもしれないけれど・・・」


泣きたくなった。


「何で、お前は俺に分からないと思うんだ?」

手首を握り締められたままだった。
力が弱められることはなく。
明日の朝は、痣になるかもしれないな、と
ぼんやり考えていた。

―― 明日は、その先は・・・。
今日よりも、明日を考える。
それが大人だと思う。
でも、清春君は、きっと違う。
今にしか生きていない。
潔く、生きている。
君のように、私は、生きられない。

「分かるなら、破り捨てたりしないわ・・・」

「くっだんねェな! このスペシャルバカ。
大体俺の台詞だろ、それは。
お前に分かんない筈がないだろ。
・・・俺が好きな癖に」

「・・・っ! な、」

「俺が好きで好きでどうしようもなくて
俺がいなくなったらどうにかなっちゃうくらい
好きなんだろ〜が! バァカ」

「・・・そ、こまで言わなくても良いでしょ」

「でも、当たってんだろ。
ホンットどうしようもないよな、
世話が焼けるったらないぜ」

私は、ようやっとこの体勢の危険性を認識しはじめていた。
私の怯えを感じ取ったのか、
清春君はとても清春君らしい笑みを浮かべて、
唇を近づけてくる。
顔を、背けても。
無理矢理、固定される。
目を瞑り、拒絶の意思表示をしたが、
唇は触れる寸前で、ストップした。

「あのな、俺はこのままアンタを
痛めつけることも出来るんだぜ・・・?
取り返しのつかないような傷をつけて、
アンタを縛ってるアホくさい分別を
ミキサーにかけてやれるんだ。
そのチャンスは腐るほどあった。
それをしなかったのは、何でだと思うのか、
言ってみろよ・・・?」


不思議と、怯えが引いていった。
何故だろう。
私は、清春君に散々な目に遭わされた。
それなのに、一度も暴力に対する恐怖を感じたことは無い。
私は、どこかで信じていたのだろうか・・・。
この、聖帝の誇る、最強にして最悪の悪魔を。


「俺がアンタを好きだからとは思わねェの?
それとも、好きだって知ってて、
配達人なんかやってんのか。
それなら、人の気持ちが分からないのは、
俺じゃなくて、アンタだ」

「・・・私は、先生なのに。
君を好きになるなんて、いけないことなのに」

「そんなの、アンタの勝手に決めたルールだろ。
もうじきに、そんなルールの外に出られる。
お前、まさか卒業したくらいで
俺から逃れられるだなんて思ってた訳?
バカの三乗だなァ」

「・・・人の、悩みをバカの一言で切り捨てないでよね」


私が、傍にいなくても・・・。
君は、ひとりでうまくやれるかもしれない。
それでも、傍にいたくて。
隣にいられる口実を、必死で探した。

「私、君がいないと、駄目になるかもしれない・・・清春君」

君といると、駄目になると言おうとしたのに、
口から出たことばは真逆だった。

背中に、そっと手を回す。
ほんの少しの距離を、自分の意志で埋める。
それは、とても軽いキスで。
でも、今まで経験したキスの中で、
一番ときめくキスだった。

「今更、分かったのかよ、センセ」

自信に満ちたその声が忌々しくて、
・・・同時に、何故か酷く安心した。

















そして、卒業式の直前。
私は、その子に謝りに言った。
清春君は関係ない、その子に誠意を尽さなければ、と思った。

『あのね、手紙の件・・・』

『先生、清春君とうまく行きました?』

『・・・え?』

『あの中身、実は白紙だったんです。
清春君が好きって、言ったの、嘘です』

彼女は、かつてないほど、晴れ晴れと笑った。

『怒らないでね、先生。
先生は、私を助けてくれたでしょ、
何か恩返しがしたかったの。
先生は、いつも清春君を目で追ってた。
でも、近頃じゃ、不自然なくらい、
気にかけないようにしてるみたいに見えたから・・・』

私は、その場にしゃがみこんだ。

『ど、どうしたの? 先生』

『私、そんなに分かりやすいんだ・・・?』

『あはは、そんなの今更じゃない!
先生が、自分の気持ちに正直になれる、キッカケに
なったら良いなぁ・・・って思ったの』

『大分荒療治だったような気がするんだけど・・・』

彼女は、私の手を取った。

『お父さんや、お母さんが私の進路に反対したとき。
先生だけは、私の味方だったでしょ。
生徒とレンアイするのって、
どうかと思うかもしれないけどさ・・・、
私、先生が好きだよ。
先生の生徒で良かったよ』

―― きっと、また会ってね。

彼女の出した白紙の恋文は、
ある意味で、私に当てられたものだったのだろう・・・。
あれは、私へのエールだったのだ。
・・・かなりギリギリの目に遭ったのだが・・・。


―― 先生は、良い先生だったよ・・・。


雪のように舞い降りる、桜の花びら。
生徒の明るい未来を願わない、教師などいない。
もう一度、貴方の笑顔に会える日を、私も待っているわ。
そう言ったときの照れたような彼女の笑みは、
私を励ましてくれた。












「結局のところ、
好きになってしまったら、もう手遅れなんですよね」

全てが、終わった後で。
私は、何もかもを衣笠先生に話した。
先生もまた、お見通しだったようで、
自分が情けなかった。
そんなに、分かりやすいのだろうか・・・。

「・・・なるようにしかならない、というのが
一番的を得ているのかもしれませんね」

今では、清春君は無事大学に入学し、
時折母校に、つまり私の職場に顔を出す。
恋人同士、という関係になった今。
これが、なるようになった結果なのだとしても。
私はあの白紙の恋文を忘れないだろう。

「もしも、先生がうまくいかなかったら、
僕は貴方を慰めるつもりでいました」

「ありがとうございます」

「あわよくば、掻っ攫おうと思ってたんですけどね・・・ふふ」

え、と問い返そうとしたとき、

「ちょっと、待ったァ〜!!!
油断も鋤もないぜ・・・」

バタン、という激しい音と共に、ドアが開いた。

「鋤じゃないでしょ、隙でしょ」

「スキだらけの女に言われたかないっつの!」

「嫌ですねぇ・・・余裕がなくって」

「衣笠先生も挑発しないで・・・っ!
きゃああああああ!!」

真壁グループ開発の、新作のバズーカ砲の性能を
確認させられた後で、大惨事となった職員室を、
慌てて片付けたのだった・・・。



私がいなくても、貴方は大丈夫。
それでも傍にいるのは、
私が、貴方を好きで・・・
貴方が、私を好きだからだ。




























モクジ
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