ねがいごと 〜白兎の場合〜

モクジ








「あなた以外、どうでもいい。消します」


白兎は言う。


それは、昔焦がれたもの。
今となっては、まるで現実味が無い。
夢の中鮮やかに燃え盛る炎のように、
熱は伝わらない。
そう、まるでこの《ハートの国》ワンダーランドに似ている。


私は、誰かの特別になりたかったのだ。



さて、今日も今日とて白兎は陽気だ。
時間の感覚が損なわれていく。
少なくとも日数は最早分からない。
この世界に馴染まされていく。
ここはとても居心地が良くて、
私はその居心地の良さに後ろめたさを感じていた。
滞在先のハートの城の客室にいると、気が滅入る。
近頃夜が続いていた。
久しぶりの昼に外出を決め込んだ私は、
メイドさんにお願いして簡単なお弁当をこしらえ、
庭へと赴いた。
血を思わせるような赤い薔薇が敷き詰められている。
芝生の緑と鮮やかなコントラストをなして美しい。
あつらえられたベンチに腰掛けて、
色彩に溢れた空間に思いを馳せる。
何もかもスケールが大きい。
リアリティがあるのに、かえって現実味が無い。
ずっと頭がくらくらしている。
眩暈の感覚がやまない。


ああ、ここにいると。
姉さんに会いたくなる。
日曜の午後を思い出す。
私は、帰れるのだろうか。
大好きな人のところへ。
馴染み深い世界へ。

――『本当に、帰りたい?』――


「こんなところにいたんですね!」

「・・・よく見つけたのね」

「探しましたから」

物思いを振り切るような、明るい声。
兎は、いつも嬉しそうにしている。
「何がそんなに嬉しいの?」と
私が不機嫌に問いただすと、
ますます笑みを深くして言うのだ。

「あなたが、ここにいてくれて、嬉しいんですよ」

傍にいられるだけで、嬉しい。
私にも覚えがある感情だ。
姉といるとき、あのひとといるとき、
それだけで私は嬉しかった。

「アリス、また会えるなんて、まだ夢のような気がします」

夢の住人が夢のようだというのもおかしいし、
またじゃないだろう、とも思う。

「ちゃっかり隣に腰掛けないでよ」

「椅子は公共物ですよ。
それに僕は、出来る限りあなたの近くにいて
あなただけを感じていたいんです」

怜悧とも形容し得る見目良い青年は、
私にだけ人懐こい。

「何故、私にそこまで思い入れられるのか
分からないわ」

私は、ありふれているのだ。
誰かの特別になれるような人間では無いのに、といつも思う。
兎は私の気持ちにかまわない。
この国のひとたちは皆、他人の気持ちにかまわない。
自分の決めたルールにしか従わない。
いっそ気持ち良いくらいだ。

「あなたが僕を愛してくれたから、です」

勝手な思い込みだ。
私は覚えていない。
知らない。

「うんと大事にしてくれましたよね。
僕もあなたをよく知っています。
いつだって、一緒に過ごしたのに。
でも、ここで、こうして会える方が僕には嬉しい」

花は咲き誇る。
この出鱈目な世界で。
壊れた時間はパズルのピースのように
砕け散り、ちぐはぐな絵を描いている。

私は、ここでは異質で、浮いている。
余所者で、それなのにここが好きなのだ。


「何故、私を連れてきたの・・・」

「アリス。あなたの幸せを願っているからですよ、勿論」

「ここに私の幸せがあるとでも言うの?
冗談じゃないわ。勝手にひとの幸せを決めないでよ」

私に優しいひとたちの世界。
命に価値を見出せない世界。
壊れては直し、繰り返し、果ての無い営みに倦み疲れた世界。


ここは、私の世界なのだろうか。
私の夢だから、私の望みを叶えてくれるのだろうか。
それなら。

「・・・ここはあなたのお気に召しませんか?」

「いいえ。 皆よくしてくれるし、
もう、大分慣れたもの・・・」

強い日差しに白い金髪が透けている。
赤い目も、アルビノの特徴だ。
人間であれば火傷を負っているだろう。

(兎の耳が生えた人間なんていないわ)

判断能力も思考の回転も落ちているが、
常識を見失ってはいけない。


「アリス。
僕はあなたを知って、
世界が変わりました」

血迷った口説き文句も、まるで染みてこない。

「僕を支配するゲームのルールも、問題じゃなくなりました。
あなただけが全てだ」

母を愛した父のように、完全無比な愛情。
そのはずなのに、兎が語る愛のことばはからっぽだ。
どこがが壊れている。・・・狂っている。
だから、私の内側には届かず、表面をそっとかすめるように撫でていく。
くすぐったくなるような快さと、
ノイズの不快を伴って、
砂時計の砂のように零れ落ちていく。



「あなただけが、特別」



「この世界で、あなただけが・・・」



私は考えている。




―― 時間とは、惜しまれるようなものだろうか?――













モクジ
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