X day
「よう、アリス」
「アリス、ゆっくりしていけ」
「・・・・あああもう! またなの・・・」
広い浴場には、先客が二人いた。
相変わらず良い酒を飲んでいるようだ。
「今更かもしれないけれど、
お風呂でお酒なんか飲むものじゃないわよ。
体に、良くないわ」
いくらここの連中が殺しても死にそうにないからといって、
体を粗末に扱って良いということはないのだ。
「嬉しいな。アリス。
私たちの心配をしてくれるなんて。
こちらにも大分馴染んでくれたようだ」
「だ〜いじょぶだって、アリス。
残念ながら、そんなに柔には出来ていないんだからさ、俺たちは」
湯煙には、入浴剤の香りが混じっている。
私はお湯を手に掬った。
ピンク色に濁ったそれは、常に程よい湯加減で、
贅沢極まりないと呆れてしまうが、
いつしか病み付きになっていた。
(ここに来る以前は、お風呂なんて嫌いだったのに)
・・・いや、嫌いでも好きでもなかった。
ただ、毎日体を清潔に保つためだけに
機械的に湯浴みしていたに過ぎなかった。
「それより、酌をしてくれないか?」
「・・・嫌よ。 ひとの忠告を無碍にするような
お馬鹿さんたちにはね」
私は両腕と両足を伸ばす。
「大体自分のペースで飲むのが好きなくせに、
私に酌をさせようだなんて、厚かましいわ」
「・・・ふふ、君は意外と私たちをよく見て、
理解しているようだ」
双子のお風呂用の遊具が、浮いている。
ひとつ流れてきたので、手にとってみた。
懐かしさに、抜けない棘がチリチリと痛む。
「エリオット?」
「ん。 どした? アリス」
ぱかすかとグラスを開けている三月ウサギは、
ブラッドよりも弱いとはいえかなりの酒豪のようだ。
「今日、コックさんが腕によりをかけて
にんじんのお菓子をた〜くさん、作ったそうよ」
『なに、それは本当か・・・!?』
ブラッドとエリオットは見事にハモったが、
二人の感情は真逆だ。
「うっそ、マジで嬉しいぜ・・・!
最近ご無沙汰していたからな! 」
「クソ、久しぶりにアレ三昧の食卓か・・・。
う・・・、想像しただけで、気分が・・・」
「いいじゃない、ブラッド。
エリオットは最近ずっと働き通しだったもの、ごほうびよ」
「褒美なら他にもあるだろう、が・・・」
口元を押さえてげんなりしている様子がおかしくて、
笑い出してしまった私を、ブラッドが恨みがましくにらみつけた。
「エリオットを喜ばせるようなものなんて
思いつかなかったわ」
「俺は、アリスがくれるものなら、
何だって嬉しいぜ?」
「そういうひとにあげるもののほうが
かえって難しいものなのよ。
ブラッドみたいに好みにうるさいひとなら、
選びようがあるもの」
私は、姉と妹の誕生日を思い出す。
妹は、好みがハッキリしていた。
時々は自分からおねだりしてきたが、
姉はそうはいかなかった。
何を贈っても喜んでくれるからこそ、
必死で選んだものだ。
「・・・貴方たちに誕生日ってあるの?」
二人は顔を見合わせる。
「そんなに変わった質問かしら?」
「君は本当に興味深いな、アリス」
「あるにはあるんだろうけどなあ。
ここではそんなもの、何の意味もないさ」
(ああ、そうか・・・ここでは、)
私は立ち上がって、二人の方へ歩いていった。
「・・・って、いきなりどうしたんだ、アリス」
「エリオット、ボトルを貸してちょうだい」
「あ、・・・ああ」
「二人とも、グラスを掲げて」
二人は言われたとおりにする。
私は芳醇に香る赤い液体をそっとふたつのグラスに注いだ。
そして予備のグラスにも少しだけ注ぐ。
軽くグラスを触れ合わせて、
深呼吸をして、乾杯、と言った。
浴室の中で思った以上に声は響いた。
二人とも意外そうな顔をしている。
「ブラッド、エリオット。
Happy birth day! 」
「今日は、私の誕生日ではないが・・・」
「俺の誕生日でもないぜ? アリス」
「誕生日なんてね、祝いたいときに祝っても良いのよ、違う?」
教えてくれたのは、他ならぬ貴方たちだ。
私はにっこり笑ってみせた。
「誕生日なら無礼講よ。
ほら、どんどん飲みなさい。
逆上せたらつきっきりで看病してあげるから」
そう言って一息にワインを飲む。
極上の味が舌に広がった。
「はは・・・そうだな。 Happy birth day、アリス」
「あっはっは! たまには良いよな、こういうのもさ。
誕生日おめでとう・・・。 サンキュな、アリス」
真実から目を背けて――
馴れ合いを繰り返していく私は、
きっと、とても汚いけれど。
それでも、二人の笑顔が心地よいと感じるのは、
間違ってはいないのだろう。
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