夜間飛行

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私には魔法使いがいた。
私はまだ幼くて、
彼という存在を吹聴してまわりたい欲求を
抑えるのには苦労した。

「秘密があるんだ」

魔法使いは言う。

「その秘密を暴かれたら、
僕の魔法は失われてしまう。
だからね、誰にも言ってはいけないよ」

私は神妙に頷く。
二人だけの秘密は、必ず守ると約束する。
彼はそれを聞いて微笑んだ。

私だけの魔法使い。
彼の手にある花が、一瞬のうちに咲き綻び
枯れて塵となるのを見た。
不思議がる私に、彼は笑う。

「魔法は手品とは違う。
タネもシカケもない」

「私も、やってみたいわ」

「いつか、教えてあげるよ」

いつかは来なかった。
ある日突然、彼は私から去った。

泣き伏し、食事もままならなくなった私を
両親は案じ、なんとしても
理由を聞き出そうとした。
私は決して口を割らなかった。

「秘密を君に教えてあげる」

「そうしたら、君も魔法使いになれるよ」

とても、とても、なりたかったのに。
彼と同じになりたかった。
そうしたら、きっと連れて行ってくれる。
二人で、冒険をして、
いつまででも一緒にいる。

彼は私から去った。
けれど。
私は約束を守り、秘密を守ったから、
彼は今も魔法を使えるはずだ。
それなら、いつかは戻ってくれるだろうか。
今もどこか遠くで、誰かと約束を交わしているのだろうか。

私だけの魔法使い。

大人になった私を見たら
きっと昔と変わらない綺麗な笑みを
見せてくれると信じているが
私は彼の笑みも声ももはや思い出せないのだ。


「私には、魔法使いの友達がいたのよ」


結婚する相手は、
どこか《彼》の面影を宿している気がした。
そうした相手を選んだのだ。

「酷い空想癖だったのよ。
知ってるでしょう?」

それだから秘密を打ち明ける気になったのだ。

「今も子どもの頃と変わらないよ、君は」

「あら、大分まともになったのよ、これでも」

新居への引越しは大変な作業だったが、
何をするのも楽しい。

「彼は私の初恋だったの。
初めて打ち明けてしまったわ」

「ふふ・・・妬けるな」

一休みして、マグカップで紅茶を飲む。
食器類は後回しにしていた。

「これを見てくれる?」

私は、カップから花を抜き取った。
ポストの上に置かれていたもので、
枯らすのも忍びなくカップに生けた。

花は。
花は、変わらないままで、そこにある。
あのひとが、置いていったかと、思った。

「もう魔法は使えないのかしら」

「さあ・・・どうだろうな」

私だけの魔法使い。

「・・・大好きよ。 ずっと」

夫は何も言わずに呆れている。

彼はもう、魔法を使えない。
私も待たない。
秘密は、守られなかったのだから。







「僕も君が好きだよ」





夫の声が、《彼》の声と重なる。





「・・・ずっとよ」

さよなら、私の魔法使い。








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