約束
取引から数年後。
アイリーンはスチュアートとライルに命じ、
連れ立ってオアシスへと赴いた。
《普通》になりたいという望みは潰えてはいないようだったが、
一時の猶予を獲得したに過ぎず、アイリーンの女王即位は
時間の問題だった。
「何故私とタイロンとお前でオアシスなんだ」
「良いじゃない、久しぶりに三人で遊ぶってのも。懐かしいわ」
陽射しは強い。水の気配が優しい。
「何か大切な話があるとか言うからわざわざ付き合ってやっているんだぞ!
そもそもお前は王族としての自覚に欠け・・・!」
「静かになさいよ、オアシスったって暑いことは暑いんだから・・・。
そうだ。タイロン、サングラス貸して」
スチュアートはわざと歩調を早めていたが、
その言葉を受けて不意に立ち止まった。
「いいぜ、お譲・・・何だよ、スチュアート」
「サングラスならギルカタール中のあらゆるものを
買い占めてやるから、
わざわざタイロンに借り受けるな」
「いらないわよ、そんなに大量のサングラスなんて。
天気が良いのは嬉しいけれど、流石に昼はまぶしいわよね」
「眼鏡如きで焼きもち焼くなって。度量が狭いな、相変わらず」
「何を言う! 挑発するなら相手になるぞ」
「あ〜、はいはい。喧嘩は止めてよ。
あんたたちってどうしてそう仲良しなのよ」
『仲良しなんかじゃない!』
「ハモってる・・・」
水辺に辿り着く。
途中に行き当たったモンスターは、
腕を競うかのようにタイロンとスチュアートが瞬殺し、
かえって気の毒なくらいだった。
「なあ、お嬢。本当に何が目的でわざわざ俺たちを呼び出したんだ」
草原に寝転び、タイロンが問う。
隣に腰掛けるアイリーンの様子はどこかおかしかった。
「何よ。薄情者たち!
用事がないと呼び出したらいけないっていうの?」
「そんなことはないぜ、勿論。でも」
「スチュアート、貴方も私の隣に座って」
距離を置き木にもたれかかるスチュアートに促し、
アイリーンは俯いた。
「大切な話をするから」
縋るようなまなざしだった。
気が強く、滅多なことでは涙を見せなかった小さな姫君。
言われるがままに隣に腰を下ろした。
「私、結婚するの。ギルカタールを継承するわ」
「・・・っ! それは、本当なのか?」
「本当よ、タイロン。スチュアートは知っていた?」
「・・・知らなかった」
「無理もないわね。今朝正式な通達があったの」
「お嬢は取引に勝ったのに・・・」
「勝ったから、かもしれないわね。頼りない変わり者の一人娘が、
やればできるってことを証明してしまったわけだから」
「相手の男は誰だ?」
スチュアートの口調は冷静だったが、
幼馴染である二人はその下に潜む激情に気がついた。
「言ったら荒れるだろうから、今は言わないわ。両親の決めたひと」
「俺も気になるな。お嬢を掻っ攫っていく男がどの程度のヤツなのか」
「タイロンまで・・・私が今日何故ここに三人でいるかというと」
アイリーンは仰向けに横たわった。
覗き込むスチュアートに微笑みかけてみせる。
「子供の頃に戻りたいな、
という気持ちにけりをつけたかったから」
「今度はお嬢が俺たちを置き去りにする番なんだな」
「分からない。でも、きっと、もう戻れなくなる」
アイリーンが固執し続けた絆。
三人のねじれた絆。
時間は何もかもを変えてしまう。
「私、いつかまたもとに戻れると思っていたのよ。
何故信じたりしたのか分からないわ」
スチュアートも草原に身体を投げ出し、抜けるような青空を見つめた。
吸い込まれそうな一面の青、光を遮るために目を閉じる。
手に柔らかな感触。
アイリーンが手を握っているのだと理解するまでに、
少し時間がかかった。
子供の頃、三人で昼寝をしたことを思い出す。
「昔私が虐められていると、二人とも必ず助けてくれた」
「お前が私やタイロンを頼ったことなどあまりなかったがな」
「私だって、守りたかったのに。守らせてはくれなかったのよね」
凪いだ風が巡る。穏やかな時間が流れていく。
「私が女王になっても、私が助けて、って言ったら
助けにきてくれる?」
「当たり前だろ」
「スチュアートは?」
タイロンもスチュアートもアイリーンを見なかった。
サングラスに隠された彼女の涙に気づかないふりをするために。
アイリーンは、小さな頃から泣き顔を見せるのを嫌った。
プライドが高くて、弱みを見せたがらなかった。
あのころ。
気位の高い少女のためなら何だって出来ると思っていた。
「お前が助けを求めたなら、必ず応える。だが」
握り締める手に力をこめる。
「助けを求める相手は私かタイロンに限ってくれ」
分かった、約束する、とアイリーンは言った。
それは優しい嘘に違いなかったが、それでも良い。
つないだ手はやがて離れる。
絆のはかなさを惜しむよりも、
その手の温もりにこそ真実は宿っている。
後、ギルカタール史上最長の安定期を誇る女王の統治には
数多くの逸話が残されている。
中でも女王の腹心である二人の男は女王への忠誠を誓い
生涯独り身を貫き通したという。