元気が出ないまま、家路に就く。
私のマンションの前に、場違いな
イタリア製の外車が停められていた。
まさか、と思いながらも、
急いで自室に向かうと、
案の定部屋の鍵は既に開けられていた。
「・・・翼君、いるの?」
合鍵は渡してあるが、
許可なしに入室されたのは、初めてだった。
薄暗い。
「翼君、・・・いるなら返事をして」
「Here・・・」
声は、私の部屋からした。
翼君は、私のベッドに腰掛けている。
いつになく、思いつめた表情をしていた。
「・・・女の人の部屋には、
勝手に入らないようにね?」
普段と、変わりない調子で話しかけるが、
様子がおかしかった。
「どうしたの・・・? 大丈夫?」
座る翼君の、珍しい白い髪を撫でる。
背の高い翼君を見下ろすのは、不思議な気がした。
「・・・悠里・・・っ!」
ぎゅ、としがみつかれて、本当に驚いた。
「・・・お見合い、そんなに気になるの?」
メロンパンが木に実ると本気で信じていた翼君だ。
もしかすると、お見合いというイベントに関して、
決定的な誤解をしているのではないだろうか。
「悠里・・・俺を、どんな奴だと思っているんだ?」
「・・・どんなって?」
「悠里が、俺の知らないところで、
俺の知らない男と、会っているときに、
俺は cool でいられない」
「君だって、私よりもずっと綺麗な女の人と、
たくさん仕事をするでしょう?」
「でも、俺はオミアイをしたことは無いぞ・・・」
「あの、本当に疚しいことは全然無いのよ?」
大人びた面があるから、忘れていた。
翼君は、私よりもずっと、年下なのだ。
「悠里は・・・俺の仕事に、
一度も文句を言わないだろ」
「当たり前でしょう」
翼君の夢を知っている。
その邪魔なんて、絶対にしない。
「俺は・・・心配で仕方ないのに。
本当は、誰にも見せたくないと思っているのに・・・!」
私だって、嫉妬をする。
写真の中で、美女と睦みあう翼君の姿を見る度に、
苦しくて、破り捨てたくなる。
「・・・だから、ミアイなんてするな」
翼君は、私を引き摺り下ろして、
ベッドの上に寝かせると、
噛み付くようなキスをした。
咄嗟に舌を噛むと、舌打ちして鎖骨を強く吸う。
「・・・何をするの」
「跡を残してる」
「どうして」
「悠里は、俺の跡を残したままで、
他の男に笑いかけられるのか・・・?」
もう、滅茶苦茶だった。
「俺の方が、絶対に良い男だ」
いつもの翼君の、強気で強引な台詞の筈が。
「悠里は・・・俺の・・・」
その声は、本当に心細そうで、
涙が出そうになってしまった。
宣言通りに手際良く服が脱がされていく。
「・・・ミアイに行っても、必ずジャマしてやる」
「どうやって邪魔するの」
「店を買収して給仕に化けて
タバスコまみれの料理を相手の男に出す」
スケールが大きいのか小さいのか、
分からない話だった。
「・・・それは、可哀相ね」
「俺よりそいつを庇うのか!?」
「顔も見たこと無いんだってば!」
「・・・大体、それくらいのカクゴが無くて
悠里と結婚など impossible だ!」
「どういう意味ですか!」
随分引っかかる物言いだ。
「でも、悠里は言っただろ。
カネの力に頼るな、って・・・。
気持ちの方が嬉しい、って。
だから・・・行かないでくれ」
「・・・何とでも言って、
断ります。私が悪かったわ」
そこまで、動揺するだなんて、
想像できなかったのだ。
「その後で、店の客の前で叫ぶ。
相手の男に怒鳴りつけるぞ。
俺の女に手出しをするなって。
手に手を取って Runawayだ。
いっそ、その方が良かったかもしれないな」
「・・・今ので、断る決意が固まりました」
やりかねない。 そのような事態になれば、
南家の親戚一同の間で永遠に語り継がれる
伝説になることだろう。
「断るって、約束します。
ね・・・落ち着いて。 離れなさい」
「・・・嫌だ」
「え?」
「俺は決めた」
何を、と問い返す。
「キセイジジツを作る。
そうなれば、誰にもジャマをされずに済む」
何を言い出すのだ。
「今、凄い事を言わなかった・・・?」
「早速ジッコウに移すぞ」
・・・私は、安易な気持ちで見合い話を受けたことを
いたく後悔させられる羽目になった。
伯母には、丁寧に断った。
角の立たないように気を遣い、
先方へもお詫びした。
しかし、私は夢想する。
もしも・・・。
ほんの少しタイミングがズレていれば。
翼君が、お見合いを台無しにしたに違いない。
彼はやると言ったことは、必ずやる。
・・・誰にも、言えない。
私はほんの少し、
残念に思っているのだ。
翼君の手を取って、
何もかもを振り切って、
二人で遠くに逃げる未来を、
夢見てしまう。
―― 心のうちで、密かに。
end.
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