恋愛の作法 〜翼視点〜 後編

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母はいつも父を想い寂しそうにしていた。
父は家庭を顧みず、仕事にばかりかまけていた。
俺は母を悲しませる父が嫌いだった。
離れていながら、母の心を支配していた父が。

永田は言う。

父は母を愛していた、と・・・。

『いつか、翼様にも分かるときが来ますよ』

いつか、では手遅れなのだ。
寂しいままで、哀しいままで、
母は逝ってしまった。

夫婦でも。
想いあっていても。
心が通わないことはある。
それでも、母が父を、父が母を、
愛していたというのなら・・・。



どうしてもっと上手く行かなかったんだろう。
何がいけなかったんだろう。
いつかでは、駄目なのだ。
間に合わなくなる可能性が無いなんて、
誰にも言い切れない。


「・・・なのに、どうしてミアイなんかするんだ」


八回目の電話で、ようやくつながる。
悠里は、事情を丁寧に説明した。

『伯母さんと母の頼みで・・・、
単なる形式で、断れば済む話だから』

溜まっていた何か。
せき止められていた何かが、
あふれ出しそうになった。


『だから、心配は要らないのよ』


―― 心配いらないわ・・・翼。
お父様は、貴方にきっと、
優しくしてくれるから・・・。

母のイメージが呼び起こされた瞬間。

思わず電話を切った。

「〜〜〜〜〜〜っ! 最悪だ・・・」

「翼様、・・・大丈夫ですか?」

「永田・・・、俺はもう駄目かもしれない・・・」

そろそろ、限界だ。

スケジュールを急遽調整し、
学生時代から住み慣れた場所に久しぶりに帰った。

「少し前の俺なら、とっとと手配して
思い切り gorgeous にミアイを台無しにしてるぞ!」

既に情報は得ているのだ。
相手の男。 日時。 場所。
打つ手は山程ある。
オヤジのものでなく自力で稼いだ金だって使える。
しかし、金で解決すべきではない、と
タンニンはよく言っていた。

『誠意を尽せば、本当の気持ちは必ず伝わるんだから、
お金ばかり当てにしたらいけないの』

今になって金で解決しようとしたら、
あのひとは悲しみシツボウするだろう。

「そうでしょうねぇ・・・。
変わられましたね、翼様」

「・・・オトナになんてなるものではないな」

「ぶ・・・あっはっは」

永田は思わず、といった風に大笑いしている。

「永田・・・、お前。 ヒドクないか?」

「し・・・失礼しました、しかしながら・・・翼様。
ご自分の気持ちを、もう一度お伝えになったらいかがです?
お見合い云々よりも、もっと他に何かあるのでしょう?
南先生も仰る通り『誠意を尽せば必ず伝わる』ものです」

ふと思い立ち、補習の時のノートに目を通してみた。
はじめの方は読めたものではない。
大量の添削の赤が懐かしい。
奥手と奥の手の違いが書かれていたのに目が留まる。



『つまりはね、慣用句なの。
idiom なのね。 奥手なひとは、a late bloomer 。
シャイなひと、初心なひとを指すの』

『それじゃ、オクノテはどういうイミなんだ?』

『語源を調べてみたら、面白かったわね。
昔の日本で、右手よりも左手の方が尊ばれたそうよ。
それで、ここぞというときの最後の手段を
《奥の手》と言うんですって。
英語ならなんて言うのかしら・・・ card かな?』



最後の手段。
・・・ここぞというときの取って置きの手。



「よし、永田。 決めたぞ」

「何をですか?」

「おそらく悠里相手なら絶対に
有効なオクノテがある! それを使う」

「・・・何です? それ」

「ナキオトシだ」

「翼様・・・意外に、変わられて
いないような気がしてきました」

「ガッカリしたか?」

「・・・いいえ、少し安心いたしました」




本当のところを知ることは難しい。

父を待ち続けた母の気持ちや、
有り余る金を稼ぎ、
ただただ仕事に没頭した、オヤジの気持ち。

俺の仕事を応援してくれる、
会いたいと言わない悠里の、
本当の気持ちも。




「会いに行くぜ、俺は」

オヤジは、もう、泣いて縋ることもできない。
ふと、そんなことを思う。 

「はい。 お帰りをお待ちしております」


合鍵と、財布と、携帯とだけを手にして。

外の空気を思い切り吸い込んだ。



end.









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