モクジ

● Not while I'm around 前編  ●



私が傍にいなくても、貴方は大丈夫。




「清春君、成績がよくなりましたねぇ」

職員室で、清春君の成績を改めて見直してみた。
毎月のテストの結果は、彼の着実な進歩を示していた。
この喜びは、とてもことばにならない。
教師冥利に尽きる。
結果が全てではないし、
成績など問題ではないとも
思うときさえあるけれど、
生徒が頑張ってくれるというのは、
何とも言えず嬉しいものなのだ。

「南先生も、よく頑張りましたね」

衣笠先生のお褒めの言葉を、胸のうちで反芻した。
やっぱり、嬉しい。
でも、どこか寂しさを覚えるのも事実で・・・。
清春君は、私がいなくても
もう大丈夫なのだ・・・と考えると、
少しだけ痛かった。

「いえ、彼本来の実力ですよ。
・・・まあ、正直春頃は
どうなるものかと思いましたが」

「科目によって差はあるようですが、
今ではなかなかの好成績です。
どんな大人になるんでしょうね、
彼――いや、彼らは」

「受け持った生徒の未来は、楽しみですよね」

生徒の未来が、少しでも明るいものになるように。
願わずにはいられないのが、教師なのだ。

「卒業式のことを考えると、
寂しくなるんです。
何度繰り返しても慣れないんですよ。
自分でも、感傷的で恥ずかしいんですけれど」

門出を祝福しながら、
どうしても、拭いきれない寂しさ。
もう、私の届くところにはいない。

「・・・南先生は、生徒に思い入れすぎるきらいがありますね」

「やっぱり、いけないですよね」

「いや、私は貴方のそういうところが好きですよ」

「からかわないでください・・・」

「ふふ・・・まあ、そういうことにしておきます」

補習も、本当はきっともう必要ないのかもしれない。
勉強の仕方さえ分かれば、清春君は、
呑み込みが非常に早かった。
記憶力も抜群なのだし。

――私は、きっともういらないんだなぁ。

自覚はある。 不純だ。
教師になると決めたのは、いつからだったろう。
今の私は、かくあるべし、という教師像からは程遠い・・・。

教師と生徒。

このつながりを失ったら、
どうしたら良いのか分からない。

私は、どんなかたちでもいいから、
少しでも必要とされていたかったのだ・・・《彼》、に。

本当に、不純だ。――嫌になる。



だから、断れなかった。
Class X の女の子の依頼を・・・。
ラブレターを手渡してくれるように、頼まれたのだった。







卒業を控えて、告白のシーズンが訪れた。
受験からの解放感も手伝ってか、
バレンタインは絶好の告白のチャンスだ。
B6や教師陣は言わずもがなだが、
そこかしこでチョコレートを手渡す光景が見られた。
バカサイユに山と詰まれたチョコレートには、
当然清春君のものも大量にある訳で。
私としてはなかなかに辛いものがあった。
しかし、清春君はそのチョコレート自体は受け取るが、
チョコレートに込められた意味までは
受け取ってくれないらしく、
それで思い切れなかった女生徒のひとりが、
私にお願いしたのだった・・・。


『先生、私どうしても、彼が好きなんです・・・』

Class X の中では、大人しい生徒だった。
裁縫が好きで、東京の家政大学に進路を決めた。
家庭のゴタゴタもあって、
苦しい思いをしている筈なのに、
歯を食いしばって努力を重ねていた。
合格決定の通知。
親よりも先に、私に電話をしたのだ。
先生、ありがとう、と言って泣いていた。


―― 私の、生徒だ。
可愛いに、決まっているじゃないか。


『・・・分かったわ。必ず渡してあげるから』

私の気持ちは、間違っていると。
やっと本当に理解できた気がした。








「衣笠先生。 相談に乗ってもらえますか?」

「良いですよ? どうしましたか」

「生徒に、告白されたこと、ありますか?」

「・・・南先生、誰かに告白されたんですか・・・?」

「いや、まさか。 ただの・・・一般論ですけれど!」

慌てて否定すると、

「あります。 内証ですが、ね」

口元に人差し指を当てて、優雅に微笑む。

「生徒は、狭い世界にいますよね。
卵の殻のように、閉じた世界の中で、
新たに生まれ出でようと願っているように、
僕には見受けられるんです」

「『デミアン』、ですね」

「僕たちは、成長の痛みを肩代わりすることは出来ない。
生徒たちの代わりに殻を割ることも、僕たちの仕事ではない。
ただ、それを見守り、見届けることしか出来ません」

「・・・はい」

「それでも、生徒たちは時に僕たちに心を寄せてくれる。
でも・・・それが恋であるかどうかは、
難しいところだと思いますよ?」

「ありがとうございます、衣笠先生」

私は、額を押さえた。

「・・・私が相談するより先に・・・、
本当に、何でもお見通しなんですね。 衣笠先生は・・・」

「言ったでしょう、見守るのが本分なんですよ」

会う機会が無い、と言い訳していた。
彼女の想いが詰まった手紙は、私の机の引き出しの中にある。
私は、引き出しに鍵をかけていた。
万が一にも、人目に触れることの無いように。
彼女の気持ちを守るために。




鍵をかけて、人目に触れないように・・・。




今日の放課後は、補習の予定だった。
手渡そうと決める。
そう、と決めた瞬間肩の荷が下りて。
私が、出来なかったことを、
代わりにやり遂げて欲しい、とも思った。


to be continued



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